FC2ブログ

先に相手がルール違反したのにどうして俺がルールを守らなきゃいけないんだという子ども的論理について

子ども的論理の一に、
「なぜ自分だけルールを守らなくてはならないのか」
というのがある。
相手が先にルールを破ったとか、
ほかのやつはみんなルール守ってないとか、
そういう違反の先例を盾に、自分もルール違反を認められようとするものである。

最近この主張をぶち上げてくることが多いので、こんな風に説明してみた。

信号は青になれば渡り赤では渡らないというルールがある。
ここで一人とてつもなく急いでいる人が赤で渡ったとしよう。
その人はいつもはきちんと信号を守っている人であり、その行動はたった一度のことだった。
だが、それを見ていた中の一人が、赤でも渡ってもいいのだ、と気づき、毎日のように赤だろうが青だろうが隙を見て渡り始めた。
それを見て、
「どうして自分だけルールを守っていなければならないんだろう」
と思い、たくさんの人が赤でも渡り始めた。
一方、車を運転している人たちは、最初は赤で渡ってくる歩行者に気をつけていたのだが、あまりに気を使いすぎて渋滞になるようになった。
そのうち、
「なぜ歩行者がルールを守っていないのに自分たちだけが守らなくてはならないのだろう」
と思い、歩行者がいても赤でも通るようになった。
交通事故やひき逃げが相次ぎ、そこは、信号があるのに、渡れない道になった。

最初にルール違反をしたのは十人のうちの一人だ。それも一時的なものだった。でも、「ほかのやつがルール違反をしているのになぜ自分だけルールを守らなくてはならないのか」と考えて多くの人がルール違反をし始めた。その結果ルールは意味を持たなくなり、ルールが守っていた安全が失われた。
これでいいのかね?
こういう風になることを知っても君はまだ
「ほかのやつがルール違反をしているのになぜ自分だけルールを守らなくてはならないのか」
という論理にしがみつくのかね?

この他にも、
「親が子どもの世話をするのは当たり前というルールを無心に破った結果起こった「誰も知らない」事件」
とか
「やっぱり親が子どもの世話をして病気になったら病院に連れて行ってあげるのは当たり前だというルールを破った結果起こった中学生男子風邪引きから意識不明事件」
とか
「パチンコ大好きお母さんが普通はそんなことしないだろって思う炎天下車の中にあかんぼ放置によりあかんぼ死んじゃった事件」
とか
「子どもに食事与えなかった結果餓死しちゃった事件」
とか、もりもり話してやり、
「お母さんもたまにはお仕事のお友達と帰りがけに一緒にご飯食べたいなーと思うことがあるけど、お前たち小さな坊やがたった二人でおうちで待っている限りそういうことはしない。それはお母さんのルールだ。お前たちはそのルールに守られている。もしもお母さんが突然ルールを破って毎日遅くにならないと帰らないようになったらお前たちはそれをうれしいと思うのか? 」
というところまで行き着いた。
子どもたちにはやはり
「母親が母親のルールを守らなかった結果子どもが大変なことになった事件」
が身にしみたらしく、少し神妙になり、もうそういう言い訳はしない、ルールを守るようにする、となった。
まあすぐには難しいだろうけれども。

ぶっちゃけた話、ルールというのは限られた集団内でお互いのトラブルを少なくするための詭弁だと思っている。
このとき
「限られた集団内」
というのがポイントで、それはつまり
「ルールを共有しうる集団」
ということだ。
だから、どっかの漫画で読んだ
「誰かを殺そうとしてるやつは殺されたって文句は言えないんだぞ! 」
という宣言は、おそらくは殺し合うことがそう珍しくないコミュニティの中に散在する殺そうとする主体に向けられた言葉であり
また律法の非共有こそがすばらしき慈愛に満ち溢れた宗教が異教徒をミナゴロシにする理由であり
最近のマスコミがやたらと犯罪者を生い立ちから自分たちと峻別しようとするのは
「あれは外様のやったことで、我々の所属する集団内にはいませんよー」
と言い立てるための報道である。
でもね。
この犯罪者の峻別はおかしい。
法制度は
「これこれこの罪によりこの人物はコミュニティのルール違反とし罰を受ける」
だったのに、マスコミは
「この人物はそもそもこういう生い立ちでこういう性癖だったから精神的社会的にはそもそもコミュニティの外にいた、だからルールを理解しきれず、だから罪を犯したのだ」
という文脈にしようとしている。

つまり、コミュニティを共有している者はルールを理解していて当たり前だというのが、昨今のマスコミ報道の見えない前提であり、それゆえにマスコミは犯罪者の異常性を暴き出しコミュニティ外の存在に仕立てるべく躍起になっているのである。
彼をコミュニティ内のルールで裁くことを一方では期待しながら。
「精神に障害があるため責任無能力者である」との結論をあれほど嫌忌しながら。

だが。
犯罪者ってのは、私とも、うちの子ともそんな変わんないもんだと思う。

まぁ、なんにせよ、なぜ自分だけルールを守らなくてはならないのか、と思う時点ですでに負けなんじゃないかな。
周りがどうであれ、自分だけは、自分が正しいあるいはこのコミュニティに必要だと思ったルールを守る。
それこそが義務だ。
もっと誇らしく生きろよ。


駄文にゅうすさま、記事の紹介ありがとうございました。
やくろあんてなさま、記事の紹介ありがとうございました。
超裏餌さま、記事の紹介ありがとうございました。
RinRin王国さま、記事の紹介ありがとうございました。
あにゅ~るさま、記事の紹介ありがとうございました。
Temporary Feelingさま、記事の紹介ありがとうございました。
無気力通信↓さま、記事の紹介ありがとうございました。
caprinのヲタ更正日記様、記事の紹介ありがとうございました。
Moonlight Butterfly 兼 僕ミシュランさま、記事の紹介ありがとうございました。
月姫研究室さま、記事の紹介ありがとうございました。
Do as you likeさま、記事の紹介ありがとうございました。
ぷろぐらまぶるろじかるさぁきっとさま、記事の紹介ありがとうございました。
迎賓館裏口さま、記事の紹介ありがとうございました。
夕食はチェ・チュバ・テリエラさま、記事の紹介ありがとうございました。
ADON-K@ソフト館さま、記事の紹介ありがとうございました。
あと拾い損ねたかも知れない紹介してくだすったサイト・ブログ管理人様、ありがとうございました。
関連記事
スポンサーサイト



テーマ : 子供の教育
ジャンル : 学校・教育

コメントの投稿

非公開コメント

電脳HALかとちょっとどきどき

コメントありがとうございました。魔人探偵脳噛ネウロ読んでなかったら何がなんだかわかりませんね。聞き流してくだせぇ。

ルールは守らないから行けないから守るのではなく、皆で守った方が社会が円滑に営まわれ、引いてはそれによって自分が利益を得られると考えればいいのかなあと。
→誰しも直感的に理解しやすいのは実のところ損得だと思うのです。ルールなどという一見「道徳的
」な命題を損得という俎上に載せるのを嫌う人々もおりますが、本来ルールという一見「道徳的」に見える命題さえ「できるだけ多勢が得をするにはどう取り決めるのがよいか」という見地から決められたものではありますまいか。そうであればルールを損得から語るのは大変正しい。そして損得を語りつくしたところに見えてくる極めて公平な地平にたどり着いたとき、初めて損得と道徳とが一体化し「周りがどうであれ、自分だけは、自分が正しいあるいはこのコミュニティに必要だと思ったルールを守る。」というところに至れるのだと思います。
そこにとっとと至っていただくために、今日も説教三昧です。

そして更にその先にある「七十にして矩を踰えず」に早く至りたい
ネコタ斑猫 拝

水無月様

ども、ネコタです。いろいろと共有できたようで大変嬉しく思っております。

「子供にとっての親の存在」
→子どもにとっての親の存在意義は永遠の謎ですが、親にとっての子どもの存在意義は明朗です。自身の遺伝子を担い次世代に引き継いでくれる大切なかけがえのない個体です。だからいかに生存に苦労せず身持ちが悪くない程度に異性に選ばれる存在にするか、過剰に腐心してしまうのです。説教する度に余りにも遺伝子に正直な自身を反省してしまいます。

なんと言うか、正しいはずのことがルールを共有できないというだけで、全く違った意味を持ってしまうと言うのは悲しいですね。
→ルールというのは本来個々人の内にある極めて私的な仮定にすぎないと思います。「こういうものだ」「これはこのようにあるべきはずのものだ」というのは言動含めた個人の振る舞いの中に見出しまた表現することしかできません。前回のコメントの中であのような書き方をしたのは水無月さんがどのような立場にありどのような思想体系を持つ方か未だ計りがたかったためです。頂戴したコメントからするとどうも大分近いところにあるようで安心しました。このように私と水無月さんとの間で恐らく共有しうる「正しさ」というのもまた広い世間では仮定に過ぎず、多勢と信じていてもいつのまにやら少数派であるかも知れません。だから迂遠な方法をとらざるをえないのですが、ぶっちゃけた話あのような書き方をしたのはちょっと拳骨食らわした子どもがかわいそうになったからです。あーやりすぎたなーと自分の中のやわらかい部分がちくちく痛みまして。しかし「身内でない大人」という外部が常に存在するということを小学生時分で知らされることもまた大切だよなぁ、と自分を慰めたり。なわけでまぁ人生迷いっぱなしです。

これからもできうる限り、読ませていただこうと思いますし、レスも書こうと思います
それだけ丁寧な返レスや意見をみて、ネコタさんに好感が持てました
ぜひこれからも育児の合間にブログを書き続けてください
→いやーありがとうございます。一見否定的な印象を受けるコメントであっても基本的には「筆を取りたくなるほどきちんと読み込んでくだすった、読み込まなくとも何かを覚えてくだすった(おい)」ということでできるかぎりコメントをくだすった方の真意に近づきながらお返事を書かせていただきたいと思っております。ただそんなわけで一本の記事書くぐらいの時間を割く羽目になるため、そのあたりのご配慮お願いいたします。あと前回のレス、誰宛かきちんと書かずすんませんでした。
あと昨日は会社の飲み会で浮かれてました。わーい。

では
ネコタ斑猫 拝

囚人のジレンマ思い出した

> まぁ、なんにせよ、なぜ自分だけルールを守らなくてはならないのか、と思う時点ですでに負けなんじゃないかな。
> 周りがどうであれ、自分だけは、自分が正しいあるいはこのコミュニティに必要だと思ったルールを守る。

なるほど。
これには納得です。

ルールは守らないから行けないから守るのではなく、皆で守った方が社会が円滑に営まわれ、引いてはそれによって自分が利益を得られると考えればいいのかなあと。
面白いトピックでした。

なんと言うか、わざわざ返事など・・・w

こういったものに返事というのも変かも知れないんですが、返レスありがとうございます等、その他もろもろ言いたかったので書かせていただきます

まず、「ルール」の話について
ハイ、全くそんな感じに考えてしまいました
また、ネコタさんが言った「ルール」についても
いい意味でもっと簡単なことなのだと解釈させてもらいました
(ある意味難しいのでしょうが、「子供にとっての親の存在」とかみたいな、難しく考えた意味での「ルール」ではない、ということで「簡単」という解釈です
確かにそういった「ルール」ならうちにもありますし、「ルール」という表現で正しいんだな、なんて納得させていただきました

で、そのほんとに「まとまりのない」レスになってすいません
で説明させていただきますと
「それはいろんな~」のほうは「子供論理を振りかざす大人」について
「そういう人にそれを~」のほうは「自分が子供論理を振りかざし、人様に迷惑をかけている事」について
それぞれ指示してます
(なんと言うか、始めのくだり(賛同できない、なんとか)とは違う話です、って意味で1行あけたのですが、またも分かり難かったようですみません

マスコミのほうは確かに頷くばかりですね
これまた、判りやすくて納得するしかないですねw

最後の返事についてなんですが
「トンチキな若者に注意できないのはルールの共有を期待できないからです。」
これまた頷くばかりなんですが
自分と同じルールを共有できてる人から見れば、確かにネコタさんの行動とは、理にかなっていると思います
でも、共有できない人から見れば、という話なんですね
(例えば、その話で近くに自分とはルールを共有できない親がいたとして、「なんでうちの子供を怒るんですか」なんてキレられてたら、こっちはどうしようにもない
(それを避けるために、「図書館でうるさく走り回っている子供」等を叱れなくなる、と言うわけ、でしょうか?
そうであるならば、私はネコタさんを非難などしないでしょうし、もしかしたら自分で叱りつけてるかもしれません
なんと言うか、正しいはずのことがルールを共有できないというだけで、全く違った意味を持ってしまうと言うのは悲しいですね

ここからはレストは関係ないの話になります
私は月姫研究室さんから来たのですが
これからもできうる限り、読ませていただこうと思いますし、レスも書こうと思います
それだけ丁寧な返レスや意見をみて、ネコタさんに好感が持てました
ぜひこれからも育児の合間にブログを書き続けてください

(追伸
(この調子だとまた変な言い回しとか説明がわかりにくかったりするのは
(先に謝っておきます、ホントすいませんでした

コメントありがとうございました。
解題しつつがやりやすいので今回もそれで参ります。
(それにしてもこの管理人、ノリノリである。)

「親が守らなければならないルール」という言い方は、確かに賛同はできません
なんと言うかルールとは別のところにあるもの、と思っているので
異を唱えさせていただきます
→「ルールとは別のところにあるものと思っている」という下りからすると、おそらく水無月さまが異を唱えたいのは「親には子どもを育てなくてはならないというルールがある」というような論に対してでありましょう。
そのあたりはpintel様へのお返事にも書かせていただきましたが、ちょっと誤解なすっておられると思います。
子どもを育てているうちに、子どもに向かう際の親としてのルールというものが段々出来上がっていくわけでして、それがここでひつこく書いている親としてのルールなのです。
自分が心がけているルールとしては
子どもとした約束は口約束でも忘れないで実現する 相手が忘れてても実現する 意地になって実現する それがカッコイイ大人ってことさ でも無理だったら謝りますゴメンナサイ
とか
子どもと一緒に作った決まりごとは過度なほど厳密に運用する そうしないとルールは破れるものだと家庭で教えてしまうことになるから
とか
大人になるってのは楽しいことだって教えるために銭をうまく運用して趣味を満喫する 身奇麗にする 人生を楽しむ 
とか
大人ってすげぇと思われるために知識を溜め込む わからないことはすぐに検索して答えを出してやる 検索でわからなかったことも後で調べて答えを教えてやる
とか、まぁそういうのがあげられます。水無月さまが想像なさっている状態とは大分違うんではありますまいか。そのあたりの大人気なさは他の記事を読んでいただくとわかると思いますので、またお暇な折にでも過去ログ見ていただければ幸いです。
ただ、親とは無条件に子どもを愛しはぐくむものである、というのはかーなーり危うくなりつつある論であり、自身は一応子どもらを養うだけの能力があるから他のオスを探し子捨てをする必要を覚えないけれども、メスによっては本来共に育む任を負うべきオスと離れた後子どもらを養いきれずいっそ別のオスと新しい子どもを持ったほうが遺伝子を遺せるかも知れず、個体によってはそういう選択をしようとする遺伝子レベルでの宿命を拒めない場合もあるやも知れないことを申し添えておきます。とはいえ母子家庭が多くあるのは「オスがいなくとも自身でがんばって今いるこの子に投資する方が自分の遺伝子を遺すのに有利である」という判断がまだまだ生きているという証拠であるとも思います。

でも、それを証明するための説明は単純によかったと思います
現代では同じような子供論理を振りかざす大人が増えていると思います
それはいろんな事件で見え隠れしています
そういう人にそれを考えさせる手段としては非常に判りやすかったと思います
→ありがとうございます。大変うれしうございます。ところで「それ」にあたるものがよくわからないのですが、よもや「親が守らなければならないルール」ではありますまいな。ルール全般と読んでいただけていればありがたいのですが。

それでいて
異常性をとくマスコミにはルールを破った何かを助ける、または近いことをする気はないのか
という疑問にも行き当たりました
つまりはそれは法厳守、ルールの過度な徹底という異常が見えた気がします
(良くも悪くも、な意見ですが
→いやいや、マスコミも集団内のルールには大変正直です。「え? なんであれだけのことしたタレントがまた出てんの? 」という情景、見覚えありませんか? 身内は助け放題です。つまりマスコミにハブにされないためには身内意識を持たせるのが一番ということです。

ちょっと外れた話になりますが
「ルール」から外れかけている人を元に戻そうと、
諭してやろう的な気風を現代の人から感じないのもまた事実だと
改めて思いました
→それをやろうとすると危ない時代ですからねぇ。少し前は彼も我もルールを共有しているという幻想を抱けましたが、今は集団の単位が細切れになってしまっていてどこから手をつけてよいのかわからない状態です。トンチキな若者に注意できないのはルールの共有を期待できないからです。さて、私事なんですが先日図書館であまりにもうるさくはしゃぎ狂っている子どもたちを見てわが子の姿が思い切り重なったためにトサカに来まして連中が脇を走り抜けた際に一番やかましかった子の頭をこつんとやらかし「静かにしろ」とドスの利いた声でささやいてしまいました。件の子どもはその後少しばかり友達と話した後「俺帰るわ」といって帰っていったのですが、さて水無月さまがこれを見ていたとして、非難したくなるのは子どもですかそれとも私ですか? そのあたりのまなざしからして、ルールから外れかけている誰かを元に戻そうとするのは難しくなってしまうわけです。

では
ネコタ斑猫 拝

pintelさま

コメントありがとうございました。解題しつつお返事させていただきます。
間違ったことを言ってるとはいいませんが、
どうみても極論です。
こんなにも尖った例を出して自分が正しいなんてことを言っても反例だって簡単に出てしまいますよ。
→間違っていないけれども余りにもたとえ話が極端すぎる、極端なので反対の例を出されて折角正しいこといってるのに覆されてしまうかも知れないよ、と解題してよろしいでしょうか。
ご心配いただきまして本当にありがとうございます。うれしうございます。
さて、ここでの聞き手は小学校四年生のバカ息子です。奴にはさんざ悩まされました。抽象論を言っても平坦な事例を出してもまるきり耳を傾けてくれません。そこで極論ですよ。いかにも尖って臓腑を突き刺すようなありえないほどの事例を出して初めてこちらの話に立ち止まってくれるのです。極論を出さずにおられればどんなにいいでしょう。そんなわけで「お前はお母さんをここまで怒らすまでなぜ聞かぬか! 」とよく切れます。全く困ったものです。とはいえ実のところこのような事例は南アフリカではそう極論でもないようです。今日読んでおりましたイグ・ノーベル賞関連の本に、「自動車盗難防止用火炎放射器」という発明品が載っておりました。路上で車強盗と行き会ったときに手を上げて恭順の意を示しながら足元のペダル操作で強盗を火達磨にしてくれようという過激な代物です。そんな装置を考案せずにいられないほど危うい南アフリカですから交通ルールなどどうなっているのかわかりません。私も、私の子どもも、そしてあなたも、皆がこうやってルールについて真摯に考え守ろうとしている日本というのは、やはりまだまだよい国だと思うのです。

それに親が子供を育てるのはルールだからという考えの時点で負けですって・・・
この部分を読んでいて凄く不快に思いました。
子供を育てるのはルールだからなんですか?
それは縛られて強制させられていることなのですか?
違いますよ?貴方はそう思ったのかもしれませんがそうじゃない親はいくらでもいます。
→尤もです。私もそのような意味合いのことを誰かが書いていたら大変不快に思うでしょう。ちなみに私は実の親にしょっちゅうそのようなことを言われて育ちました。なかなかにつらく不快でありました。
さて、この部分についてはどうも誤解されがちのようなので改めて書かせていただきますと、自分が申し上げましたのは
子どもを育てるに当たって、親にもルールが必要だ
ということであって、
子どもを育てるのは親にとってのルールだ
ということではありません。違い、おわかりいただけますでしょうか。このあたりおそらく「誰も知らない」などの事例を出してしまったために混同してしまわれたのかも知れません。
ただ、私自身の親が、真意はともかくとして常に口に出さずにおれなかったように、そのように思う親が居るだろうことも否定しきれるものではありません。
また、
ルールだからという考えの時点で負けですって
というpintelさまの下りですが、これはもしや末尾の
まぁ、なんにせよ、なぜ自分だけルールを守らなくてはならないのか、と思う時点ですでに負けなんじゃないかな。
という下りがpintelさまの脳内で窯変したものではございますまいか。
もう一度心のフィルタをはずして平坦な心持で読み返していただければその部分についてはご理解いただけると思いますので、あとはよしなに。
なお、いろいろとご心配いただいて恐縮なんですが、自分は子どもと一緒に居るのが面白くてなりません。子どもというのは実に楽しいものです。pintelさまに子どもがおらなんだら、機会があればぜひ子どもを持つことをオススメいたします。

繰り返しますが、間違ったことを言っているとはいいませんが、例としては不適切に感じます。
→私も心から不適切だと思います。ていうかこんなたとえ話をねちねち考案しなきゃいけない自分が時々かわいそうになります。もしよかったらうちの話を聞かないバカ息子に極論に行き着く前にお母さんの言うことを聞くようにメッセージをいただけませんか。他所の人がいったら聞くかもしれません。いやマジで。でも多分無理(泣きながら)

では
ネコタ斑猫 拝

374君、管理人はまだ子どもの勉強見てるから

無理だよ。
ちなみに自分は朝は7時半に仕事に出て夜は7時に帰ってきて子どものごはんつくって食べさせて8時から子どもの勉強見て9時半に子どもたちが就寝してからようやくブログ記事を書いたり小説を書いたりしております。最近コメント欄が賑々しいもんでその対応に時間をとられてほんのちょっぴり大変です。んでも意見を下さるのはありがたいことなのできちんとコメントのネタは考えてきましたのでご安心を。でも子どもたちが寝るまで待っててね☆ あとこちらにおいでの皆さん、たまにはうちが小説サイトだということを思い出してやってください。

コメントをどうぞ

へぇ~、と思わせられた

「親が守らなければならないルール」という言い方は、確かに賛同はできません
なんと言うかルールとは別のところにあるもの、と思っているので
異を唱えさせていただきます

でも、それを証明するための説明は単純によかったと思います
現代では同じような子供論理を振りかざす大人が増えていると思います
それはいろんな事件で見え隠れしています
そういう人にそれを考えさせる手段としては非常に判りやすかったと思います
それでいて
異常性をとくマスコミにはルールを破った何かを助ける、または近いことをする気はないのか
という疑問にも行き当たりました
つまりはそれは法厳守、ルールの過度な徹底という異常が見えた気がします
(良くも悪くも、な意見ですが
ちょっと外れた話になりますが
「ルール」から外れかけている人を元に戻そうと、
諭してやろう的な気風を現代の人から感じないのもまた事実だと
改めて思いました

(まのぬけた意見、まとまりのないレス、失礼しました

いやこれは・・・

間違ったことを言ってるとはいいませんが、
どうみても極論です。
こんなにも尖った例を出して自分が正しいなんてことを言っても反例だって簡単に出てしまいますよ。

それに親が子供を育てるのはルールだからという考えの時点で負けですって・・・
この部分を読んでいて凄く不快に思いました。
子供を育てるのはルールだからなんですか?
それは縛られて強制させられていることなのですか?
違いますよ?貴方はそう思ったのかもしれませんがそうじゃない親はいくらでもいます。

繰り返しますが、間違ったことを言っているとはいいませんが、例としては不適切に感じます。

痛いところを突かれました

kkrkさま、コメントありがとうございました。
実はこちらずいぶん前に書いたコンテンツなんですがニュースサイト様に取り上げていただいて久しぶりに読み返してみたところkkrk さまとほぼ全く同じ矛盾を覚えましたことを白状いたします。おっしゃる通り「誰かを」の下りもミナゴロシの宗教も外様に対する制裁です。すいません。さらに後のくだりも正直怪しい。自分の真意は「マスコミはコミュニティの中に確かに居てそれゆえにコミュニティのルールで裁くべき相手をもとよりコミュニティの外に居たものと騙りつつしかもコミュニティのルールで裁こうとしている これっておかしくね? 」というところにあります。ただ前のコンテンツなんで正直直すのめんどくせと思っちゃって、まぁそんなわけですいません。でも総論オッケーと思ったのもkkrk さまとおなじです。いやほんとすいません。ものすごくきっちり読み込んでくだすってほんとうに感謝しております。うれしいなぁ。
マスコミがあれこれがんばって犯人を異常者扱いしたがるその生き様には衛生博覧会的な伝統を覚えます。なんかやらかしたら卒業文集が白日の下に晒されるといういやな伝統はいつごろからでしょうか。あれを考えると恐ろしくて絶対に犯罪などやるものか! と思います。
サイコパスなど脳の器質的な変調により極めて異常な犯罪をらくらくとこなしてしまう人々がいるのも承知しています。とはいえやはり先も述べたようにコミュニティのルールで裁こうというならエイリアン扱いするのは奇妙であるといわざるをえません。そのあたり、おそらくkkrk さまと共有できているものと存じます。
さてそんなkkrk さまにおススメの書籍があります。
マーカス・フェルソン著「日常生活の犯罪学」です。
こちらは「機会が犯罪を生む」という帯からもわかるとおり、犯罪者はあなたや私である、ではなぜあなたやわたしが法に違反するのか、それはそのような機会があるからだ、という非常に平たい概念のもとにその犯罪防止の具体的な方策を記したものです。大変勉強になります。すでにお読みでしたらよしなに。

では
ネコタ斑猫 拝

todoさま、コメントありがとうございました。

このような問題に対しては、唯一の絶対解というものは残念ながらない、というのがそもそもの当方の認識です。
「どのような世界観に身をおいている」「誰に対して」説明しようとしているのか、それぞれの因子に基づき最適解に近づこうとする努力が可能であるのみであると考えております。

さて、todoさまの文章はなかなかに難解なので、少しずつ解読させていただきます。

「その行動はたった一度のことだった。」<これがそもそもの発端で、最期の理論に到達する。
ルールは守る為にあると説明する割に引き金がある説明の矛盾。
→todoさまのおっしゃる「説明の引き金」を「仮定的な設定における書き出しの文章」と解題して以下書かせていただきます。
ここでは説明の引き金をたとえ話ではじめてみました。なので実際に説きたい「ルールは守るためにある」という概念とは真逆の結論になりますが実際にはルールを大勢が破った場合の危機的状況をほのめかすことで語り手の真意を伝えようとしたものです。

「自分が正しいあるいはこのコミュニティに必要だと思ったルールを守る。 」
は、
ネット上のコミュニティではよく
「自分ルール」と言われ嫌われます。
→ここだけ取り出すとなるほど超俺様状態ですが、たとえ話の「多くの人がルールを破っている状態」を踏まえていただけると、「たとえ多くの人がコミュニティに必要なルールを破っていたとしても、自分ひとりだけでもコミュニティに必要なルールを守る」という意味で通じると思うのですが、いかがでしょうか。

囲碁は結果を集計する段階で、いくらでも誤魔化す方法があると言いますが、
相手が、「そういった行為を絶対にしない」ということが前提であるそうです。
→囲碁においてそのような暗黙のルールがあるのは大変すばらしいことです。そのような暗黙のルールを自分から守るのが誇り、相手も己と同じように振舞うことを期待するのが信頼であると考えますが、いかがでしょうか。

ルールとは誇らしく生きることではなく、
見知らぬ相手を信頼すること。で生まれると思います。
→上に記したごとく、それらは表裏であると思うのです。己の心意気は不在或いは不問のままに相手にのみルールを守ることを期待しそれを信頼と銘打つのも俺様状態ではありますまいか。そして今回のたとえ話から始まる一連のお説教では、まずはルールの遵守について自分の意識をどのように保つか、ということを伝えることにあったので、やはり誇りもってルールを守るようになってほしい、という結論でそう悪くはないと思われるのです。

あまり良くない説明ですね。
→いやーありがとうございます。そう言っていただきまた頂戴したコメントに対する返信を通じて、ルールに対し誇り持って生きることとルールの遵守において誰かを信頼することとが表裏一体であるというまた新たな地平にたどりつくことができました。いかがでしたでしょうか、まだ納得できないところがございましたらぜひコメントをおよせください。自分ひとりで考えていてはなかなか気のつかないところを教唆していただき、ウェブというのはほんとうにありがたいものです。
あ、あとネット上のルールについてはほんとうにややこしいものです。自分はせいぜい子どもになんでゲームする順番をまもらなきゃいけないのかについて説くので精一杯です。なわけでそのあたりについては勘弁してください。

では
ネコタ斑猫 拝

コメントありがとうございました。

359番さま、ありがとうございました。
今後も精進いたします。

R-xx さま、実のところうちは母子家庭であり、そして人間に限らず生物種の育児は多様です。そんなR-xx さまにものっそおススメの書籍がございます。
「セックスはなぜ楽しいか」http://nekohann.blog1.fc2.com/blog-entry-1078.html
非常に面白いです。ご一読をおススメいたします。
あと、文章からすると、どうも育児にご苦労なさっている父親のようなにおいがするのですが…お互いがんばりましょう。

ネコタ斑猫 拝

>誰かを殺そうとしてるやつは殺されたって文句は言えないんだぞ
というのは殺しあわないコミュニティより殺す殺されるというのが身近にあるコミュニティに生まれるものだと思いますけどね?
>すばらしき慈愛に満ち溢れた宗教が異教徒をミナゴロシにする理由であり
いや違います。異教徒の時点で駄目なので殺したから云々とは違います。後述の外様~になら当てはまるでしょうが、殺したから文句を言えない~には当てはまらないかと。

全般的には同意ですね。特に「犯人は異常だ」というマスコミの理屈はおかしいですね。
もしコミュニティの外にいるのだとすればペナルティを受けずに住むのですから。そういったコミュニティの外にいるとするのが、責任能力の有無による無罪等だと思うので。他にも外国での犯罪などもそうですが。
そういったマスコミは犯人を攻めたいのか守りたいのか自分達が矛盾してることに気付かないんでしょうかね。それとも気付いてても視聴率が良くなるならそれでいいとかですかねぇ…

あまり良くない説明ですね。
「その行動はたった一度のことだった。」<これがそもそもの発端で、
最期の理論に到達する。
ルールは守る為にあると説明する割に引き金がある説明の矛盾。

「自分が正しいあるいはこのコミュニティに必要だと思ったルールを守る。 」
は、
ネット上のコミュニティではよく
「自分ルール」と言われ嫌われます。

囲碁は結果を集計する段階で、いくらでも誤魔化す方法があると言いますが、
相手が、「そういった行為を絶対にしない」ということが前提であるそうです。

ルールとは誇らしく生きることではなく、
見知らぬ相手を信頼すること。で生まれると思います。

感動しました。特に最後の段落。

良いですね

人間だけでなく生物はオスとメスが赤ん坊を育てるものです。
しかし、残業奴隷制度のせいで、
世界で唯一日本だけが父親からの伝承を
全て遮断させられている異常国になっています。
母から優しさ、父から誇りを学ぶものですが、
今の世代には「どうして親に感謝しなくちゃいけないの?だって他人じゃん?」
という問いが考えの根底にあるので、難しいかもしれませんね……。
実際、自殺するほど虐められていても親に相談しないのは、
幼少時から残業残業で放置されて「他人」と認識しているからなので、
仕方ない事なのでしょうけれど……

コメントありがとうございました。

誇らしく生きろよ、はちょっとカッコつけすぎた感があってどうも照れくさいです。

フグ田君、そう一概に決め付けるのはよくないだろう。腐っている部分が悪目立ちしやすいのはどこの世界でも同じだ。ところで今夜一杯呑みにいかんかね?

当たり前のことは基本に立ち返って考えてみるとよろしいと思います。いじりすぎると段々何が問題であったのかすらわからなくなってくるものです。最初に自分は何を解決したかったのか? 最初立ち止まったのはどこでだったか? そこを見失わず常に立ち返るようにすれば案外物事は単純です。

ではそんな感じで
ネコタ斑猫 拝

個人ニュースサイトから来ました
良い文章ですね
とてもためになりました

当たり前のことだけどこういう風に論理的に説明されると目からうろこが落ちたような気がします。

今のマスコミは腐ってると思います。

最後の

「もっと誇らしく生きろよ。 」
が生きるすべてでしょうね。
良い言葉だと思います。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
検索フォーム
最近の記事
カテゴリ
リンク
最近のコメント
月別アーカイブ
RSSリンク
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近のトラックバック