悩み中。
悩んでもしょうがないのだが。
育児とは肉弾戦であったのか。
子どもに「お母さんは僕がきらい」と思われなかっただけマシだが、いや、どこのうちでも男の子育てんのには手が出るというが、自分自身がそうせざるをえない状況になると、自分の立ち回りの下手さ、自分自身の弱さが身に沁みるぜ。
みんなはもっとうまくやってるんじゃないかな、と思うと、どよん。
ああ、でも最近ここまで第一子を叱るネタというのは勉強についてだけになってきたなぁ。
兄弟げんかや兄の本質としてのずるさについては、口で叱り飛ばしても手はでない。
なんで勉強についてだと手が出るんかなぁ。
毎日少しずつ、と思っているのになぁ。
漢字はノート一ページ分の予習問題をお母さんがドリルから作り、それからドリル。
算数はドリルを一枚。もしできなかったら類時の問題をお母さんが作る。
あとは小さな日記。
これだけだ。多いだろうか? 漢字が出来ない場合には自分で3年生までの漢字の載った大判の辞書で調べさせているが、それがいけないのだろうか。
とにかくありがちだが
あまりに漢字がオリジナリティに溢れすぎている
あまりに文章題の文章を読まなさ過ぎる メキモンで計算力はついたが文章題になると文章の中の数字を組み合わせただけのお粗末な式を立てたりして不愉快だ
という始末。ほんとうはこれに音読など導入したいが、そんな余裕がない。
何で勉強しなきゃいけないのか
に始まり
漢字の問題を見て全部わかんないよと投げやりに言い
わからない漢字を調べるのを嫌がり
漢字の書き順が違うから調べなおせというとまた死にさうになる。
文章題は文中に出てきた適当な数字の組み合わせで式を立て
どうせこんな問題わかるわけないと愚痴をこぼし
間違ったものを問題を読み直して直せというとやはり死にさうになる。
しまいにはヒーヒー泣きながらやりはじめる。
子どもを泣かすと祖母が出てくるので
泣くなと口を尽くしてそれでも利かなければ私はその口を手で押さえつけて黙らせなくてはならない。
それがツライ。
しなくてもいいとは思わない。
小学校二年生の子に小学校二年生の範囲をきちんと抑えてもらいたい
ただそれだけなのだ。
難しいものをやれなどとはいっていないからだ。
何故泣くのががわからない
誰かが助けにきてくれると甘える癖がついているように思えてならない
嫌がらずに最初から素直に取り組めば、解ける問題だからだ
何故回答を厭うのかがわからない
正解に至るまでの道は、既に知っているはずだからだ
問題の意味をきちんと理解する、ということと、漢字については、どう考えても譲れない二点である。
やっぱり私は子どもの勉強を見続けるだろう。どんなに疲弊しても。
でも、いつか子どもが嫌がらなくなるといいなぁ。
ものを理解し、新しいことを知ることは、とても楽しいことだというのに、何故あいつにはわからないのだろう。
そんなところがこの漠然とした空しさの本質なのかも知れない。
トサカに来ます。
勉強のスキルというよりも勉強に対する意欲そのものに構造的な欠陥があるように思われてなりません。
こちらこそご無沙汰しております。子どもがこういうのも懐かしく思い出してくれるなら、それでよしです。私が死んだ後にこのことはどんな風に思い出されるのかなぁ、そんなことを思いながら毎日過ごしている今ひとつ不健全っぽい母親でございます。
コメント、ほんとうにありがとうございました。少し勇気がわいてきました。これからもよろしくお願い申し上げます。
ネコタ斑猫 拝