きっこの日記というものがある。
微妙に確からしい情報を織り交ぜた時事ネタと(最近で言えば米国産牛肉問題とか)、折々に見られる稚拙に誤った認識と(劣化ウラン弾問題とか)、嫌いなものに対する糾弾の激しさとで耳目を集めていたブログである。
中で一番問題になっていたのが時事ネタにまつわる確からしい情報のソースで、そのあたりから
「きっこの正体はなんなのか? 」
「結局我々はきっこの日記に対しどのようなスタンスをとればよいのか? 」
という議論が散見されるようになった。
私個人は、きっこさんの批判記事から入ったので(誤った認識に突っ込んだもの)、余りいい印象をもっていない。
それはそれとして、上記のような疑問も確かに持っていた。
今は個人が発信した情報がたやすく手に入る時代である。
これからも「きっこの日記」に似た「曖昧な」読み物というのはネット上に多く出回ることだろう。
曖昧、というのは、
「専門のライターが、専門のライターであるというスタンスのもとに書いたわけではない」
「情報源にいる人間によって書かれたわけでもない」
「にもかかわらず、見かけ上確からしい」
という点において、である。
こういう読み物に対し、私たちはどのようなスタンスをとればよいのだろうか。
善意で解釈すれば、情報を発信する以上、内容には責任を持っているんじゃないかなぁ、信用してもいいんじゃないかなぁ、となる。
が、一方でわりと稚拙な間違いが見つかったりして、真に受けてた足元を掬われる羽目になる。
情報源にいる人間ではなさそうだが、わりと近いんじゃないか、と思わせる記事があったりする。
そうなると、結局どのくらい確かなのかいまいちすっきりしなくてもだもだしてしまう。
松永英明というインターネット関連のえらい人が、きっこの日記全て(五年分)を読み、
「きっこの日記とは床屋政談である」
と喝破してくだすった。腑に落ちた。
松永さんによれば、公言通りきっこさんはヘアメイクさんであるらしい。ヘアメイクをしながら、また個人的な趣味もあって、情報源を増やすことに腐心してきた。そのあたりから聞き込んできた情報をネタに書いたのが「きっこの日記」なのだという。
つまり、
「いろんなことをよく知ってて、好き嫌いのはっきりした、おしゃべり好きな美容師さんの一人語り」
それがきっこの日記なのだ。
美容師さんの話を後から蒸し返してあれがどうだこれがおかしいとかあげつらうだろうか? あからさまに間違ってるとか指摘するだろうか? 教えたのに直さないといって怒るだろうか? いや、しない。なんでだろう。してもあんまり意味がないからだ。美容師さんのおしゃべりはその場限りで流すものだ。後から「あ、なんだ、違うじゃん」と思ったところでわざわざ指摘しにいったりもしない。もう一度美容院に行ったときにはこちらも忘れてる。そんなもんだ。
リアルの世界でそれが出来ない人は、大人気ないといわれるだろう。
これからもこういう見かけ上の確からしさを持った読みものが耳目を集めることが多くなるだろう。
全くの素人の独り言でもない、しかし玄人の記事でもない、曖昧な立ち位置からの情報。
そのような情報に対し、ネットユーザーが現在とっているスタンスは適切か、そのことをきっこの日記は問いかけてくれたのだ。
これだけ問題になったのは、きっこの日記のような曖昧な立ち位置からの情報発信に実のところネットユーザーがなれていなかったためではないか。
この手の情報への対応はリアルでは使い分けているはずなのに、何故出来なかったろう。
ネット上の情報発信者は素人と玄人の二種類だけだとでも思い込んでしまっていたのだろうか。
少なくとも自分はそんな感じだ。
たとえ読み手がそうであっても、その中間にいる書き手というのはずっと前からいて、曖昧な立ち位置からの情報を発信し続けていた。
自分としては、きっこの日記論争のおかげでそのあたりにスポットが当たったので、ほんとうによかったと思っているのだ。
結局私自身はどうするか。
床屋政談は床屋に行ったとき散髪のついでに聞くもんです。
しかしきっこさんのような語り口調の美容師さんは自分は苦手です。
そんなわけできっこの日記はネタにされていたときにだけ見に行くと思います。
おまけ 他に考えられる曖昧な立ち位置の情報
情報源の嫁による「夫の話では」ブログ
やっぱりどこまでほんとうかわかんない
夫がどこまで話すかわかんないしごまかしやミスリードもあるだろう
さらに嫁の理解度も心配だ
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