写真と光画

photographがなぜ光画と直訳されなかったのか、という疑問を持ったのが始まりだった。
いや、そうじゃない。
究極超人あーるが所属していた写真部の名称が「光画部」であったところから、疑念は既に浅く胸中にあったのだ。
そうして、ずいぶん昔のサライで、最後の将軍様のものされた「光画」を知ってから、いよいよ
(光を捕まえただけのものを「写真」と訳したのは一体誰だ? )
という疑念が強くなった。
そんなわけで、実に安易にWkipediaで確認させていただだいたところ(Wikipediaが辞書として頼りにならないと言っているのではなく、本来なら図書館で文献に当たらねばならないところ検索で済ませる自分の態度が安易だと言っているので悪しからず)を要約すると、photographのもともとの出自は絵描きが遠近法での絵画制作のために使っていたカメラ・オブスキュラにあり、その光と影を固定するための薬品を塗布した紙が発明されたのがphotograph、つまるところ「光画」の始まり、ところがその「光画」、見たままの光景を固定することが可能なものだから自然科学者、警察、軍隊なぞもこぞって利用、そこから「光景の記録」としての「写真」が始まった模様。ただしこちらの「写真」にあたる言葉は英語には見当たらず、もとはどうも中国語であるらしい。今度はWikipediaの「日本写真史」の項に戻ると、「1860年の始め、もともと中国で写真館を経営していたオリン・フリーマンが横浜で日本最初の写真館を開いた。」とある。つまるところ同じ漢字圏である日本だから中国語をそのまま流用して構わんだろうと思ったわけだ。しかしながら外国語翻案の神様福沢諭吉先生がもし「photograph」を知って居たら、写真ではなく光画を採用しておられたのではないか、結果人口にも膾炙していたのではないかと思うと、いささか残念な気もする。
何しろ自分は一元的な馬鹿だから、写真というのは報道写真に準ずる「真実を写す」ものであり、マン・レイなどの芸術写真は知っていたものの、レイアウトと光に大いに作為を加えた「光景の記録」であるには変わらないと思っていたのである。
しかし、此度知人に、編集責任「写真 技法と表現」」という書を借る機会を得、その中に掲載されていたオノデラユキという方の作品を見て、衝撃を受けた。
そこにあったのは、「光景の記録」ですらなかった。
私が長く求めてきた真の「光画」が、そこにあったのだ。
"transvest"。
それが作品のタイトルだった。ひどくスタイルよく未来的な格好をした、なんというか、AKIRAに出てきそうな青年が、発光しながら空中に僅かに浮遊している。
一体どうやってとったのだろう、いまだに「光景の記録」に呪縛されていた私はまたも安易にネットを彷徨った。
ガラスに乗せて、光を工夫して…などと考えていたら頭骨が外れて脳みそが斜め上にはみ出すような気分を味わった。
あれは現実のモデルですらなく、雑誌写真を切り取ったものを用いて作られたものだった、と。
さらにそのモデルの体には街並みが映されていて…などというと、もういけない。
これはカメラ・オブスキュラの系譜を継ぐ「光画」ではなく、さりとて光景の記録としての「写真」ですらない。
それらすべての呪縛を抜けて、光と、影と、印画紙を用いて全く新しく構築された「光画」としかいいようのないものだったのである。

光画は写真になり、そして再び光画になった。
この美しい系譜を知ることができて私は実に幸せだ。

というわけで、これを読んで下すったあなた、ぜひオノデラユキさんのサイトを訪ねていただきたい。
素晴らしい「光画」がそこにあるから。

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ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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