百物語第四夜其の六 天井

 まあなんというか、敷地を生かし切って実に上手に作られましたなぁといわざるをえないような、それでもかろうじて二階建ての、実に狭小な立ち飲み屋である。
 しかし立ち飲みにおいては狭小という業態ははむしろ大いなるアドバンテージである。そこでは全ての人はパーソナルスペースを放棄させられる。立ち位置も不安定で、詰めてもらったり譲ってもらったり、今割と親密に話していた相手が所用で場を離れた途端それを聞いていた別の客と話が盛り上がり、では先ほどは何処にと思いきや、これまた入ってきたばかりの昔馴染みと話が弾んでいたりするから、一体この場の雰囲気を盛り下げるにはどうしたらいいのか、通夜帰りでもよれば故人の話で少しはしんみりするかと思われたらところがどっこい大往生の喪主は至って気安い男で、ネクタイこそ黒であったものの黒のベレーを洒脱に被り、マフラーは捩じって纏い、外で常連に塩を撒かれた後に乗りこんできて焼酎あたりを何杯か飲んで親父は大正生まれだっただのと常に変わらぬ様子で話をするが拍子抜けでどうにもこうにもこの店の持つ不可解な盤石を思い知らされる愉快なエピソードではある。
 さてその店、二階に小さいおばあさんが住んでいるという噂があった。
 昔の家なら天井裏で鼠の運動会があったという、あれほどではないが、今は客の饗応には使われていない、物置になっている二階にあるトイレへの通路、稀には帰りそびれたマスターの避難所にもなっている、その二階から、異音がするというのである。
 怖いもの知らずが訪ねたとて何に会うわけではない。だが、少しの人数で一階で飲んでいると、確かに、何かを叩くコツコツとしたような音が、上から響いてくることはある。ただそれは大人数の時にはなく、またどうも特定の人物がいるときに限っているように思われて、新しい客が上に御不浄を訪ねるときのからかいのネタになる程度のものだった。
 常連は、ああそういう音がそういやぁ今日はするねぇ、という程度、木の軋みやらつい足が冷凍庫に当たった音やら、そんな程度に軽んじて考えていた。
 あるときまだ成人になったばかりで迷い込んできた青年が、上を借りると行ってきた。靴を脱ぐようにといわれるがまま、きちんと靴を脱ぎ、そんな風に見えないのに履物をきちんと揃え、たんたんと明るい音さして上へ上って行った。一人が面白がって、上には小さいおばあさんが住んでいるんだから会ったらちゃんと挨拶するんだよ、と声をかけた。わかりました、笑いながら若い声が答えた。
 暫時。
 一階の常連は特に意識せぬまま自分たちの話題で盛り上がったり歌を歌ったりして過ごしていた。だがそういやぁあの若いのが帰ってきてないなぁということで少しの懸念が生まれ始めた。
 「寝ているんじゃないかね」
 「ああ、あれで大分酩酊していたようだからね」
 そんなことを言いながらどうも面倒くさがって誰もすぐにはいかない。何故なら彼は一人で来ている客で、まだ親しいといえるほどの飲み友達ができていなかったためである。
 それでマスターが自分の小用のついでに見に行くことにした。
 「大丈夫か」声をかけながら階段を上がる。彼の足が見えた。なんだ寝てるのか、起こさねぇとな、と思いながら上がり切った。
 寝ては居なかった。
 目を開いて、ただじっと天井を見ていた。呆けたように。
 「どうしたの、大丈夫? みんな下で待ってるから降りといで。」
 「いえ…マスター。」
 淡々と言葉を紡ぐ。
 「さっき僕、小さいおばあさんがいるから挨拶をしろといわれたんですけどね」
 「あーあんなの嘘だよ。初めて二階上がるやつには皆いうんだ。でもこんな明かりがついて空調も整備されているところ、ちっとも怖くないだろう? 」
 「いえ」
 若者は目を天井から離さないまま答えた。それでマスターもつい天井に目を遣った。
 すると。

 火熨斗で引き伸ばされたような、やけに目だけが大きい老婆が、天井の一面に貼りついていた。

 このときマスタはーは、血の気が引く、という感覚の真髄を味わったそうだ。
 一方の若いの、酩酊のせいか、若さのせいか、少しも動じるところがない。
「あのう、あのお婆さんが皆さんにいわれた小さいお婆さんだとしてもよいのですが、どうもあれは小さいように見えないのと、この板の間の真ん中あたりに正座なさっていると思ったら天井にいらっしゃるという展開、とりあえず挨拶をしろといわれたからひっくり返っていたのですが、この姿勢からあのご年配の心に叶うご挨拶はどのようにすればよいものでしょうかね。」
 などと淡々と言う。
 マスターは引っ込んでしまった尿意の行方を薄く心配しながら、脳天で覚えるねめつけるような目線をいかに順当に払うかを懸命に考えた。そして結局極めて軽薄な結論にたどり着いた。
 「じゃあ二人して寝転がってあれに手を振るか。」
 
 それが最適解であったのかなぞは誰に判断しうる話でもない。だが確かにその平べったいおばあさんはにたりと笑ったあと右に左に引き伸ばされるような動きしながら最終的に天井の割れ目からつるりと抜けて見えなくなったのである。

 若いのは先だって階段を下りてゆき、「遅かったじゃない」「小さいおばあちゃんにちゃんと挨拶した?」などと問われ、「いやぁあれは小さかなかったですよ」などと答えている。
 マスターは…マスターは階段を下りたものの、どうもあの天井の光景が頭から抜けない。

 (さあ明日から一体小便をどうするか)
 
 どうにも名案の浮かばなさそうな宿題を突き付けられた不運を、マスターは少し持て余した後、いっそ日本酒にと一緒に一気に飲んじまうことにした。
 注いだ水面に例のおばあさんの目玉が映りこんでいたような気がしたが。
 (何、屹度気のせいだ)

                                                            終
 
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  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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