[2012年執筆電子書籍未然主義記事][でも電子書籍君にもいいとこあるよね!]

アマゾンの電子書籍失墜の予兆受けまして、紙の本君をめっちゃ激励してる(というより偏愛こじらせたなれのはて的な)2012年執筆記事を再掲します。
大体電子書籍ってなんだ。電子は紙液晶いずれもの構成物だろ。概念が雑過ぎんよ。新時代用語翻訳マッシーンの福澤先生に恥じ入って謝んなさいよ。せめて「電脳書籍」ってしなさいよ。色んなもんとリンクできる攻殻の世界っぽくて厨二心めっちゃ刺激されるやん。それとも「めっちゃ偏在するけど今いることを(エネルギー的に)許された場所を離れるのは存外難しい」という意味含んで「出版社さんまたは配信元さんの都合でリンクできない閉鎖系の孤独テキスト」になるということを当初から予測していてこういう用語になっちゃったのかなー? おやおやー?
などという意地悪い邪推はなしにしておきます。(書いとるがな
あとついでに
電子書籍君のいいところー
についても書いたのがあるから再掲。



紙の本は死なんよ。

何故ならこんなにも
誰かと共有しやすいデータベースは
他にないからだ。

君の個人的なマシンに取りこんだ電子書籍を
誰かと共有したくなったらどうする?
君はそれをマシンごと誰かに貸してやるかい?
それともファイルを転送するかい?
入手元のアドレスを送るかい?

サーバーに蓄積されている電子書籍は
いつでも誰でもダウンロード可能だ。
でも君の個人的マシンにダウンロードされた瞬間
もうそれはどこにも行けなくなる。
君はそのデータの終着駅だ。
そうとしかあれないのだ。

その作品を愛し
著作権者に誠実になろうとすればするほど
共有しづらくなる奇妙なシステム
それが電子書籍だ。

さて、君は古本屋に行ったことはあるかい?

百年前の紙の本を買うのは
今となってはそう難しいことじゃない。
そうして、今君の本棚にある紙の本、
それは、朽ちなければ、もしかしたら百年後、
誰かの本棚に置かれているかもしれない。

ファイル形式の時代遅れもなく、
マシンの故障もなく、
充電の必要もなく、
常に開示されっぱなしのデータベース。

こんなにも、こんなにも共有可能な、
まるで奇跡のようなメディア。

それが紙の本だ。

紙の本を買うこと、
それは、そのデータの途中駅になる権利を買うことだ。
私の中に「誰かと共有したい素敵なもの」を閉じ込めないでおく権利を買うことだ。

だから私は紙の本を買う。
家族と読むために。
友人と分かち合うために。
そうして私がその本を開いた時に覚えたのと同じ手触りを
他の誰かがおそるおそる味わうのを楽しむために。




電子書籍がビブロフィリアにとっての真の天国を下賜する可能性について

紙の手触りを愛し、また紙の本の絶滅を憂うビブロフィリアが
それでも電子書籍を仰ぎ見ねばならぬ理由は
「検索の容易さ」
にある。

ビブロフィリアなれば
紙の本が電子書籍を凌駕しうる
最もわかりやすい至便性といえば
「めくるという動作による触感と同時に保存された視覚的な記憶」
にあることは承知であろう。
(そのほかの至便性についてはこちらご参照のこと)

ただ
紙の本では
「この本のこの厚みのこのあたり開いたこのへんに該当文言があった」
と物理的に探索しようとしても
案外いきあたらず、無為に時間を浪費してしまうことがある。

そんな無駄足の突破口となりうるのが、電子書籍化なのである。

一方で、
自分のような紙の本派の人間にすれば、
電子書籍は、その軽易さゆえに、
却って暗記を困難にしている節があると感覚される。

自分のような紙の本派にとっては、
読み、理解し、記憶し、さらに、
記憶を想起し、今一度ページを繰り、たどり着く、
それこそが記憶に係る一連の過程となるため、
紙の本の持つ重さ、嵩、見開いた際にどの位置にあったか等の三次元的な位置感覚が
非常に重要にな因子となっている。

情動が記憶を強化するという説を思えば、自分の感覚も的はずれではないだろう。

(実際、つるぺたのipodで青空文庫の少し嵩高を読んだりすると
内容そのものについては脳に順次格納は可能ながら
物理的なる「厚さ」、いかほどめくったあたりかとの「手触り」情報が欠落していることを自身の習慣が不安がって
記憶を空間的に配置し構築することにひどく下手くそになってしまっているような気持ちになる。
なんというか、操作的にはしおり機能含め「戻って文言を確かめる」ことが可能なのは承知しているが
どうしても電子書籍はひどく一通であるようにしか思われない。
ただの習慣の問題であろうとは思うし、
たとえば小説なぞであればそんなことは問題にならないだろう。
しかし私が読み始めたのはおそらく「宇宙のはじまり」という
どちらかといえば講談社学術文庫に入っておりそうなそこそこの嵩高であるから
いよいよ理解には行きつ戻りつしながらの有機的なる構築が必要になってくるのである。)

一方で。

電子書籍は、「紙の本」では容易くは得ることのできない
検索
という利便を下賜してくれる。

検索、それは数多の本読みが夢見た絶対的な優位だ。
本読みが、感覚やおぼつかない記憶にたどっていた領域を、技術ゆえのブレのない確実さで、実現してくれるのだ。

だから、ものすごくシンプルなことを出版社さんにはお願いする。

紙の本には、漏れなくその電子書籍版にアクセスする権限を永久に添付することを。
また電子書籍については、漫画ならセリフ等の活字のみならず効果音の書き文字まで検索可能たらんことを。
されば人は、紙の本の孕む物理的な感覚と、検索の至便性を、二つながら手に入れることができる。。
それこそが、多分、出版社さんとビブロフィリアとを幸福にし、また出版業界に活路をもたらす、現実唯一の方法に相違ない。

電子書籍の購入者は、電子書籍でまかなえているので、いいと思うよ!


以上、およそ3年前のお目汚し記事でしたァァン!!!
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ネコタ斑猫

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    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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