少し先の自分に委ねればいい。

人に頼まれてやったことを
別の人に酷く否定され
なんともいえぬ苦さを覚えた挙句
その全否定の現場に確かに居あわせた
頼んできた当の相手に
「何があったのか知らないけど元気出してね」といわれて
ああ、この人はあの現場を見聞き知っていたにも関わらず
私があれほど罵られる羽目になったのは
あなたの頼みを引き受けてしまったためである、という
そういう認識を共有しておらんのだな
そういう感覚は近しいところにあると思っていたけれども
実は全くそうではなかったのだな、と
今となれば手前勝手な信頼を
手前勝手に裏切られた気持ちになって
以来
その前には確かに持ち合わせていた
誰かのためになることなら断る理由がない限り多少手間でも引き受けようという無邪気な愚かさ
序に
そういう責められている場面で誰に頼まれてこういうことをやりましたというのは格好の悪いことだと思い込み
自分が自分の責任においてやりましたと要らぬ白状をするなどという気障な青臭さ
そういう行動様式が
この年になってようやく苦さを以て廃されるに至った。
思い返せば
よくまぁこの年までそういうことを自覚せず
ただひたすら無邪気に善意を信じてふるまってきたものだと
正直驚嘆するとともに
他の人々はとうに形式的にのみ用立てていただろう無邪気な善意というような行動様式を
如何様信じていたという事実がバカバカしく下らなく
誰にも口を塞いだままでいる。
そうしてようやく
頼まれもしないのに誰かの得になること後人のためになりそうなことを為したりするのを辞め
理に合わないことに遭えば何をも待たず言い立てるような
そういう大人なみのことの仕事をしようという心構えが身に着いた。
否、身に着いたというのはふさわしくなく
ほんとうを言うと
そういう無邪気をやらかそうと思っても
あの苦い気分が蘇って
何、どうせそんなことは誰も望んじゃいないとか
結局のところ自分が割を食ってしまいだとか
負の結論に先回りされて
自分を投げ出せなくなってしまったのである。
そうしてさらにほんとうを言えば
たった一度
たった一度そういうことがあっただけで
今までの無邪気な行動様式を容易に棄却できるのか
そんな自分が不憫で口惜しくもある。
世間にはこういう思いをしている人が一杯いるだろうに
そうしてそれでも無邪気にとどまっている人がいるだろうに
如何して自分はこうも苦さに囚われているのか
不甲斐なく思いもする。
自分の母なぞは
おそらく自分の一万倍もこういう目にあっているだろうに
そうしてけして鈍くない質なので
おそらく自分の一万倍もそういう苦さを覚えているだろうに
それでもなお周りが不審に思うほどの無邪気な心身の投げ打ちを為している。
そういう人はどうしてそれが可能なのか
何故自分は苦さを踏破できぬのか
じりじりと考えて
今の自分に難しく
過去の自分にいよいよ難しくとも
自分がかくありたしと願っている
そういう少し先の自分に
思い切って決定権を委ねてしまえばよいのだと思い至った。
私の過去がそれをゆるせず
私の今がそれをゆるせずとも
かくありたしと今の私が願う少し先の自分は
きっとそれをゆるしているだろう。
如何しても今の自分に為し得ないことならば
少し先の自分に委ねればいい。
かくありたしと思いながら
かくあらざる責任を
誰かや何かにことよせて
過去や今に囚われたなら
かくありたしと自分とは愈々乖離してゆき
いつのまにか
「誰かや何かに妨げられて実現はできないほんとうの自分」
が己の内にのみ育ちあがってしまうだろう。
そんな不実な仕事に自分を預け
己を虚しうするよりは
いっそ少し先の自分に今の自分を委ね
苦さを踏破して
無邪気に過ぎぬ程に
自分にとって好もしい行動様式を取り返す方が
よほど実用だと思い至ったのである。
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ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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