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私は勉強がキライだ。

「勉強」という字面が酷く気に食わないのだ。
勉めるを強いるってのはなんだ。どんだけ強制すりゃあ気が済むんだ。科挙か。科挙の準備なのか。
だからといって学習というのもあまりにも子供じみている。まるで巣立つ幼鳥が飛び方をまねび習うようだ。気に沿わない。
じゃあ探究はどうか。未知を探り究めるなんて立派な仕事はしちゃいない。そんな言葉は切り立つような知の最先端におられる研究者の方々の労苦と悦楽とを思うと恐れ多い。

「目玉と脳の大冒険」

以前荒俣宏先生が、大博物学の時代を修辞するに用いておられた言葉だ。
実のところこれが、自分の間尺に丁度ぴったり合う言葉である。
そうして多分自分は、かの大博物学の時代に生きた人々が、どれだけ望んでもなお得られなかったであろう素晴らしい境遇に身を置いている。
研ぎ澄ました観測・実験機器、精確なデータ、卓越した理論。
そこから描き出される世界の精緻な美しさはどうだろう。
先人が命がけでなお辿りつけなかった風景、巡り合えなかった生物、選ばれた人しか手にすることのなかった深い知識に、まるで揺り椅子探偵のように気儘に触れることができるこの時代の素晴らしさよ!
こんなにも恵まれた時代に、如何して知の冒険者たらずにあることができるだろうか。

探索行動とその成果に伴う脳の快楽物質の分泌というのは、淘汰が生物に備えてくれた素晴らしいご褒美システムであり、それをいい方向に拗らせあげた成果がヒトの構築した知の体系だ。
そうであれば、何故人は自分にも子どもらにも「勉強」を推奨するのか。
強いる筋ではないのだ。知とはすなわち悦楽なのだ。
食料目的をはじめとした探索行動が常に個体にとって有利であったからこそ、知ることによって快楽物質が分泌される仕組みが備わっているのだ。
種にとって有利な生殖行動に伴って快楽物質が分泌される仕組みが生き物に備わっているように。

私が子どもらの「勉強」(慣用されているので敢えて用いる)を見るに当たって最も気を使っているのは、上記のご褒美システムが十全に機能するよう導くという、ただそれだけだ。
わからないと思ったことについて自力で解法を模索し答えに辿り着く、その探索行動が自力に基づいたものであり、また負の状態から正の状態への振り幅が大きい程、快楽の度合いは大きい。
それを実感させ、その快楽に依存するように導くことに成功すれば、あとは夢の「知の永久機関」が出来上がる。
頼んでいる上々の参考書問題集も、所詮その仕事の媒体に過ぎない。
参考書問題集を通じて知識を蓄え解法を言われるがままに身につけてゆくてゆくことはできるだろう。
だがそれらを十全に活用したところで最後のまとめの問題を解き切れるかというとそう容易くはいかない。
行きつ戻りつ右往左往してようよう答えにたどり着く。その過程は子どもらの知的感覚の養生に非常に役に立つだろう。
解法の模索も生命の原初から宿命づけられた探索行動の一派生に過ぎず、また「成果を求めるために何をすべきか」という命題は人生のあらゆる場面において常に出くわすものと相場が決まっているからだ。

その命題を解くために自分には何が不足かを知ること。
また必要とあらばそれに気付くために外に知を求めること。
その過程で不足を満たす方法を手に入れること。

勉強であれば、
「解き方」
を教えてやるのは容易いことだ。
だが、解き方を教えてやる代わりに、問題に当たり、解答欄の詳細解説を読み、それでもわからなければ参考書の本文を読み返し、自力で問題の解き方にたどり着けるよう導いてやる方が大切だと考えている。
わからければいくら戻っても構わないといいおいて。
そうやって、自力で解き方に気付く習慣を小学生のうちに身につけておけば、後の勉強が楽になること必定である。

そういうことを目的に据えておれば、自然、
初めてやる問題を間違えるのは少しも恥ずかしいことではない
ということも理解できるだろう。
初めてやる問題ができないのは当たり前なのだ。
必要なのは答えや解き方を見てわかった気になることではない、答えや解き方をパターン認識してゆきまたその過程で解き方そのものに辿り着く方法を身につけてゆくことなのだ。
間違った問題についてそれができなければお前の負け、それができればお前の勝ちだ。
ただ正解を出すよりも、問題を解くために必要な事柄を探すスキルと習慣とを身につけておくことの方が、正直、よほど大切なことだと思っている。

世界は解かねばならぬ命題に満ちている。
解き方のはっきりしない命題も数多ある。
それらについて如何に解き方を探し出し、正解に近似的に辿りつけるか、それをこそ重要と見なす理念を教えこんでやること、そうして何よりも
知というものは、苦しいものではない
むしろ途方もない悦楽に満ちたものなのだ
ということを教えてやることこそが親の責務と考えている。
知の目的は今恰も外在化しているが、実のところその欲動は常に己の芯生命そのものから湧きあがってくる、そういう単純且つ必然的な筋のものなのだから。
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非公開コメント

学問さま、コメントありがとうございました。

や、学問という非常に適当な言葉がありましたね。
何故考え付かなかったのか、自分が残念です。
ご示唆いただきありがとうございます。
しかし
脳と目玉の大冒険
という言葉を使いたかったというのも事実ッッッ。
…お許し下さいませ。

> いつも楽しく拝見させていただいております。
ありがとうございます。

> 私も”勉強”は強制のイメージが強いです。
字面がいけませんね、字面が。
この言葉を使ってて許せるのは平成教育委員会の勉強小僧だけですよ!

では
ネコタ斑猫 拝

箱ミネコさま、コメントありがとうございました。

ではこういうときにとっても頼りになる辞典をひも解いてみませうか。

勉強 1 そうすることに抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れること 2 将来の大成・飛躍のためには一時忍ばなければならない、つらい体験 3 利益を無視して、商品を安く売ること(以上新明解国語辞典第三版より)

勉強 1 骨折りて勉むること。精出すこと。出精。2 学問すること。 3 俗に、商品を安く売ることを云う。(以上新訂大言海より)

大言海は昭和32年、新明解は昭和56年の版なので、24年間でイヤ度がかなり上がったようですね。
あと中国語の勉強は
「無理やり」
という意味のようです。
http://www.ninhao.jp/column/200604.html

これを踏まえた上で
> 語源は「自分が強く務める」ことだと思ってました
> 強制するとはさすがに違うと思います・・・
とりあえず個々の感じ方ですから気にならないならいいと思うんですよ。

> 学習も「学び習う」って良い意味だと思ってた。
> (真似るって意味もあるけど)
まねび倣うその先について語りたかったわけで、学習という言葉の是非はここでは問うてません。

> あきんども「勉強しまっせ~」って
> 営業努力するし?(笑)
上記ご参照ください。

> でも「目玉と脳の大冒険」はすごく好きな言葉だな★
いい言葉だと思います。

> 知能って「知識に能(あた)う力」だもんね
申し訳ないのですが、解釈の意味がよくわかりません。
新明解によれば
「頭の働き。知恵の程度」
だそうです。

> 何かを知りたい欲求を満たす学校教育が理想ですね、
学校は集団行動と規律を守ることの大切さを様々な科目を媒体に教えていただく場所だと考えております。
正直そこまでお願いしては先生の負担が多くて申し訳ない('A`)

> ソレってリビドーに近い感じ★
本能と言う点で同じですね。

> 記事の内容に共感、賛同しますよ!
ありがとうございます。
お互い子どもたちの知的好奇心を涵養してゆきましょう。

では!
ネコタ斑猫 拝

私も勉強は嫌いです

いつも楽しく拝見させていただいております。
私も”勉強”は強制のイメージが強いです。

勉強って

語源は「自分が強く務める」ことだと思ってました
強制するとはさすがに違うと思います・・・
学習も「学び習う」って良い意味だと思ってた。
(真似るって意味もあるけど)

私は結構好きな言葉だけどなぁ

あきんども「勉強しまっせ~」って
営業努力するし?(笑)

でも「目玉と脳の大冒険」はすごく好きな言葉だな★

知能って「知識に能(あた)う力」だもんね
大冒険ってしっくりくるわ

何かを知りたい欲求を満たす学校教育が理想ですね、
ソレってリビドーに近い感じ★

記事の内容に共感、賛同しますよ!


プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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