「今の子どもたちは大変なんだから気を使ってあげないと」だって? じゃあ気を使った先にあるものを聞かせてもらおうか。

なんか最近うちのブログが
分類Aのゆとりに成長しつつある第一子との闘いの記録
になりつつありますが余り気にしないことにします。

だって闘ってますからね、実際。

でまた今日難儀なことがあったわけなんですが。

ことの始まりは先日の土曜参観の日。
第一子を参観してたところ担任の先生に
「ネコタさん、前期終了直前の個人面談にお越しにならなかったでしょう。
私ずっと待ってたんですよ」

聞いた私、顔面蒼白ですよ。

で、こちらもそのときのいきさつなんて覚えてないもんで
「ほんとうに申し訳ありません、こちらで把握していなかったのかも知れません」
と平謝り、第一子もプリント出さないのしょっちゅうなので先生も納得してくださり、12月の個人面談には必ずまいります、と言って退散したのですが。

数日後に連絡帳見たら
「仕事の都合がつかないので今回は遠慮させていただきます」
って当時の日付でちゃんと書いてあるんですよ。

第一子が提出してなかっただけなんですね。

で、つらつらと事の次第を書いて、改めてお詫びをしました。

したら
「では12月に」
という話になりました。
もう先生、
いつでも時間おとりします
まで言ってくださったんですけど、まぁ12月になったら個人面談兄弟であるので、そのときにまとめてやったほうがいいだろう、と。

で、先週、第二子が個人面談のお知らせを持って帰って来ました。
今回は希望者のみなんですが、第一子の担任の先生との約束もあるので、
第二子のお知らせのお返事と第一子の連絡帳に
「申し訳ありませんが仕事がありますので兄弟で続けて面談できるように先生の方で時間の調整していただけますか」
と書いて渡しました。

毎回それで先生方には都合を着けていただいていたのです。
ありがたいことです。

で、きちんと先生に渡した旨を何度も確認しまして。
二人とも出したと言ったので安心していたのですが。

月曜日、それまでも毎日プリントは出したのかと確認していたのに
聞いてなかったらしい第一子、ようやく思い出したようによこしてきました。

木曜日に配られたらしい第一子の学年の個人面談のお知らせ。

で、それには
「希望の時間がかぶった方には申し訳ありませんが先着順になります」
の文言が。

でも先生には既に連絡帳でこちらの希望を伝えていたので
改めてプリントを渡すのもなぁ、と思って連絡帳待ちをしていました。

で、今日
「先生から連絡帳帰ってきた? 」
と尋ねると
返事しねぇんですよ。

問い詰めると
「まだ出してない。
学校の机にある」。

待てやゴルァァァァ!

お前出したいうたやないかァァァァ!

もうぷっちぷちに切れましてですね。
先生に申し訳ないやら、せっかく周到に準備進めてたつもりが台無しになったやらですね。

あれだけ前回の個人面談の件で叱られてまだわからんか!
個人面談のことについて書いてあったんだぞ!
と叱り飛ばしたらですね。

「個人面談のことだったらプリントに書けばいいじゃないか! 
なんでプリントに書かなかったんだ! 」
とか逆切れするわけですよ。

ゆ と り に も ほ ど が あ る

先生に伝えなくちゃいけないことがあったから連絡帳を託したんだろうが!
個人面談のことだけじゃないだろうが!
渡せといった連絡帳を渡さなかったのが悪いということが何故わからんかァァァァ!
そもそもお前は個人面談のプリントをすぐにお母さんに渡したのか! 渡したのかァァァァァ!!!???
先生に渡せって言った連絡帳を渡さなかったような人間がプリントだったら渡すっていう保証があるのかァァァァ!!!???
いいかげんにしろォォォォォ!!!!

と更に叱り飛ばしましてですね。
で前回拳で打って手首の裏側内出血したもんでですね(貧弱)。
服掴んで引きずってフロアリングの部屋の真ん中にほっぽらかってですね。

事後について相談しようと母に電話したんですがね。

で、母からは
とりあえず今回の件については手紙を書いて(連絡帳ガッコだからね)、朝にでも先生に連絡とお詫びの電話をした方がいい
という話になったんですが。

「でも第一子も色々大変みたいだからね、小学校五年生は一番難しい時期だって言うし。
気を使ってあげなさい」

とかのたまうわけですよ。

なんかうちの母ちょっと前に小学校の先生の講演会聞いてきて以来矢鱈
小学校五年生は一番難しい時期で学校も昔に比べて難しいことになってるから気を使え
といってくるわけです。

とりあえず先生とのやりとりについてのアドバイスはためになったのでありがとうなんですけども、
果して今回の件などを踏まえて、子どもに気を使う必要があるのかを真剣に考えてみたわけです。

長い前振りすいませんねー。


で、結論として
子どもに気を使ったところで増長するだけである
そんなことより規範と抑制を叩きこめ
という前回と同じ結論に至ったんですが。

なんで今の祖父母世代は矢鱈子どもに気を使うことを推奨するのか、更に考えてみました。

まず、世に言われているように
ほんとうに今の子どもの置かれている状況は以前に引き比べて難しいものであるのか
という点。

これをお読みのあなたもちょっと考えてみてください。

どうでしょう、今の子どもたちが置かれている状況って、以前に比べて難しいでしょうか?

例えば自分が小学生だった頃といやぁ、詰め込み教育だの校内暴力だのツッパリハイスクールロケンロールなどで大変な時代でした。
祖父母の世代は戦後間もなかったもんで母はヤギの乳で育ったり父の兄は栄養失調で亡くなったり生存そのものが難しい時代でした。
今はどうでしょう。
塾通いがあったり少子化だったり学級崩壊だったり大変よねー。
ねー。

しかしながらたった三世代の例を引き比べてみても
みんなそれぞれ大変としかいいようがない
(そして多分この中で一番大変だったのは仏契祖父母の代に違いない)
ということを察することができます。

にもかかわらず祖父母世代が今の子どもたちは大変だというには
生きることにてんやわんやで学校生活のことまでよく覚えていない
とか
学校そのものも未整備で勉強が大変だったという記憶がない
とか
いっそ三丁目の夕日映画版のような「あの頃はよかったフィルター」を通したおぼろな記憶に比すると今の子どもたちは何もかも不憫に見える
とかそういうダメ要因があるんでないかと思われるんですが。

ちょっと落ち着いて考えてみましょう。

親は自分が子どもの頃のことを知っています。
祖父母は自分たちが子どもの頃のことと、自分の子どもが子どもの頃のことを知っています。

でもね、
今の子どもってのは、あたりまえですが今の状況しか知らんのですよ?

上から引き比べて判断するのは勝手ですけれども、そんな例になるのかわからんような例と現状を引き比べる暇があったら、単純に
現在の子どもを取り巻く状況及び子どもの状態をよく見極め、それについて人間としてどう対応するべきかを検討する
それだけでいいんじゃないかと思うんです。
私の子どものころと違うわ。
だったら自分の子どもの頃の論は適用できませんよね。
私の子どものころと違ってて大変そう、だから可哀そう。
何をおっしゃいますか、あなたたちなんざ生きるか死ぬかだったんでしょう? あなたたちの方がよっぽど可哀そうですよ。
たくさんの子どもたちを見てきた人が今の子どもは難しい状況に置かれているって言ったわ。だから気を使ってあげましょう。
うちの子どもが難しい状況に置かれているかは尋ねればいいじゃありませんか。とりあえず気を使う前に何が悪かったのかをわからせこれ以上迷惑を被らないよう説教することは必要でしょ。どの時代どんな場合にもやってはいけないことを奴はやった。そうであればそれを止めればいい。プリントを出せと言っても出さないなら確認のため先生に電話しよう。プリントを出さなければ鞄を漁ろう。プライドが傷つく? プライドなんか関係ない。ここで大切なのは連絡方法を確保することだ。その目的のために先生への連絡が必要なら、それをやればいい。子どもが嫌がるかもしれないから、といって手控えて何になる。嫌なら子ども自身がきちんとやればいいのだ。自分はやらん、誰かがやるのもいや、僕のプライドが傷つく、なんて甘ったれた奴の迷惑を被るのはこちらだ。恥はどんどんかけ。恥をかくのがいやならちゃんとやれ。単純な話しだ。お前のプライドなど関係ない。あるのはただ実際に有用な連絡方法を確保できるか、それだけなのだ。

なんか祖父母世代は孫子世代に矢鱈余分なストーリィを夢見ているんじゃあないか。

自分たちは戦後すぐの物資不足を経たものだからあらゆる豊かさを我が子に与えようとした。何もかも詰め込まれた子ども世代は萎縮したり破裂したりした。じゃあ今度孫が出来たらもう少し緩くしてあげよう。素晴らしきかな祖父母! だが生まれる子どもはいつも裸で、自分の前にどんな世界があってどんなやりとりがなされたかなんてまるでわからず、そうしてそういう子どもに必要なのは規範意識の植え付けと欲望の抑制であることには今も昔も変わらないわけで。
自分の代がこうだった、を基準に教育をなそうとすると、子どもとしては今に通用しない古い道具をそのまま手渡されるようなもので、困惑するほかない。古い酒は新しい酒袋に、先ずは子どもの置かれた状況を鑑みて、そのうえで子どもが足りないところは補い余分は矯め人とうまくやれるだけの人物に導いてやらねばならない。そんな現場のやりとりに過去の残滓なぞ足手まといにしかならないわけで。

要約すると
昔の子どもに比べて今の子どもは大変だからといわれても今の子どもは今しか分かんなくてそれなりに幸せなはずなんだから茶々入れるな
昔に比べて大変なんだから気を使ってあげなさいなんて変に遠慮すると増長するのでその子どもが置かれている状況に入り込みきっちりと容赦なくダメなものはダメと伝え怒っているのだということを示し権威を取り戻したほうがよかろうなのだァ~。

というわけで今後私は子どもに向かって一切気は使わん。子どもがどんだけ大変でも大人より大変なわけがないのである。どーせそのうち大変になるんだったら同情されるより対処の仕方を教えられておいた方がよいのである。気は使わんが、何をどうすればこの状態を改善できるか、一緒になって考える。悪い状況にあり続けるにはコストがかかる、では今の悪い状態の原因になっているのがなんであり、その原因を取り除くためにはどのようなアプローチが可能か、そういう汎用性の高いトラブルシューティングの手法を一つ一つ分析から教えてゆきたいと思う。
教育論はいくらもあるが、自分が信じるのは脳の発達理論と目の前の子どもの状況だけだ。古い教育論も新しい教育論も必要ない。ただ、人が人と対峙する際にどうふるまうべきなのか、それを今彼ら子どもが置かれている状況通じて教えてやるだけなのだ。こうやれなんてお題目はノーサンキューだ。ただ、その場その場の最適解を模索して積み重ねてゆけば、せめて今自分が被っている難儀を他の人は被らずに済むようになるだろう。
その日のために私は闘い続けるぞ。
とりあえず明日は手紙書いて電話するぞ。
がんばれ自分!


RinRin王国さま、記事の紹介ありがとうございました。
北沢かえるの働けば自由になる日記さま、記事の紹介ありがとうございました。
異次元のツボ!さま、記事の紹介ありがとうございました。
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うぉ、それだそれ。

「中途半端な反抗期と、これまた都合のいい自我のせい」
マジでこれだよ! 特に都合のいい自我ってのはぴったりだよ!
やっぱガンガンどなったほうがいいよなー。つかわんこも苦労しとるのう(´・ω・`)
導くの難しいよなぁ。うんうん。
うーん、なんか上の世代って色んな案件見てるせいでかえって目が曇ることもあんじゃねぇかと思うのよ。
いやもうすごい納得したし励みになった! サンキュー!

ではまた!
ネコタ斑猫 拝

ファイトだ!

『5年生は難しい時期』・・・違うと思うー。

中途半端な反抗期と、これまた都合のいい自我のせいで生意気盛りな子が多いです。
(あくまでも個人的な感想・笑)
でも、そこで大人が"負けるが勝ち”となって、気を遣っていては
その子のためになりません。
ゆえに、ガンガン怒鳴って妥協せず闘ってます。

『5年生は(導くのが)難しい時期』なら、納得ー(笑)
プロフィール

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  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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