ゆとりとその対策について

あなたは自分にはゆとりなんか関係ないと思っていませんか?
「うちの子に限ってゆとりなんて…」と考えていませんか?
そんなことはありません。
ゆとりはじわじわと社会に広がってきています。
しかも小さい子どもの方が影響されやすいのです。
うちの子は大丈夫! と思っていても、知らない間にあなたの子どももゆとりになっているかも知れません。
今日はあなたの子どもをゆとりから守るための対策をご紹介します。

ゆとりって一体なんですか?
先ず、ゆとりへの対策の前に、ゆとりとは何かを考えてみなくてはなりません。
当初ゆとりとは小中高学習指導要領がやや希薄になった時期に教育を受けた世代を指していました。
それまでの濃密な指導要領に基づいた知識偏重の「詰め込み教育」に対し、ゆとりを持たせたという意味で銘打たれたのが「ゆとり教育」でした。
そのため当初はそれまでの指導要領を受けた世代よりも知識が浅薄であると見越した年長世代により差別語として用いられてきました。
が、実際にゆとり世代が学校という閉鎖系から社会という開放系に参入し始めたころ、
年長世代においては当然備えているものと期待されてきた他者や規範に対する抑制の欠落
が特性として見出されるようになります。
これらの特性は所属する集団において驚愕するような臆面のなさとして表出し、結果的に
自分の行動原理にのみ過剰な遊びを許した結果、他者や集団に心理的に過剰な軋みを与える
こととなりました。
この
自らの行動原理に過剰な遊びを許している状態
が、既に慣用されていた
「ゆとり」
という表現に実に馴染んだため、余り意識されることがないまま転用されることになった、というのが現在のゆとりという言葉の現状であると考えられます。

ゆとりの要件
「ゆとり」以外の人が「ゆとり」にはあって自分にはないと考えているものとはなんでしょうか。
それは、先にも書いた通り、行動原理における「過剰な遊び」です。
人は行動を何らかの原理に基づいて決定します。
その原理において最も強いものは
個人の欲求
でありそれを抑制する形で働くのが
社会的な規範
です。
誰もがその二つに折り合いをつけながら行動を取り決めているわけですが、もちろんその均衡の取り方には違いがあります。
社会的な規範を尊重しすぎる人は
「堅物」
と評され、またそうでない人は
「自己中心的」
と評されます。

そう、以前は社会的な規範を尊重しない人は
「自己中」
と呼ばれていたのです。

ではなぜゆとりを「自己中」と呼ばないのでしょうか。
ゆとりと自己中の違いはなんでしょうか。

自己中の行動原理
身の回りに自己中がいたあなた、その行動を思い出してみてください。
ゆとりと何が違うでしょうか?
彼は確かに社会的規範を尊重せず、その結果周りの人は大なり小なり迷惑を被ってきました。
が、ゆとりと自己中を使い分けているあなたなら、
「確かに周りの人に迷惑をかけているには変わらないが、ゆとりと自己中とは違う」
と断定できると思います。
では何をもってあなたはゆとりと自己中を分別しているのでしょうか?

自己中は社会的規範とその重要性を認識しているが、認識したうえであえてそれを尊重しない行動に出ている
ゆとりはそもそも社会的規範とその重要性を認識していないし認識の必要性を覚えていない
それがゆとりと自己中の明確な違いです。

自己中が成立した時代、それは個人の欲求が社会的な規範で塗り込められた太平洋戦争の残照色濃い時代でした。
先験的に与えられた規範を意識せずに自我を形成することなどできないような時代でした。
そのような時代において行動原理を涵養する場合、規範を中心に置くか、自己を中心に置くか、上手に折り合いをつけるか、程度を違えた三つの選択肢しかありませんでした。
すなわち
自己中心的
とは、その対極にある
規範中心的
と対となる概念であったのです。

そうであれば、そもそも規範の重要性についての感覚が未成熟な
ゆとり
に対して自己中を適用するのは躊躇われて当然ですし、またそれを適用するのが規範に圧倒されながら自我を形成した同胞に対する侮辱のように覚えられても当然なのです。

では、年長世代があれほど圧倒されざるを得なかった社会的な規範がゆとりにおいてはただうざいだけのものになってしまったのは何故でしょうか?

権威の失墜、または融解
先も書いた通り、ゆとりと自己中を使い分ける世代にとっては、まだまだ「規範とは神聖にして侵すべからざるもの」という気風が残っていました。
それを打ち破るのはとても勇気のいることで、打ち破ったものは英雄でした。
それゆえに英雄になりたい人々は好んでそれらを打ち破りましたし、また規範を体現する立場にある人々の弱みを言いたてその権威に傷をつけ権威から引き下ろすのは大衆の娯楽でさえありました。
が、権威というのは、実のところ文化武化含めた教育訓練の場面においては非常に有用至便なものです。
例えば教育訓練の場において、先生はそもそも学徒よりも知識や知恵や道徳において優れていると期待されています。
実際のところはそうとも言い切れない場合もあるのですが、とりあえずそうであるものとして不問不可触に権威を付与し、それにより先生を学徒のむやみな突っ込みや無視から保護し、保護者と教師とが共に「教育」という成果物を享受する、というのが以前の教育訓練の仕組みでした。
が、現在はあらゆる規範が常に批判され非難され引き下ろされ、結果権威というものは社会に見当たらなくなってしまいました。
唯一権威性を帯びているものといえば金くらいという体鱈苦です。
これでは権威を尊重する感覚というものが涵養されるわけがありません。
このような、権威に対する感覚の欠落、権威によって保護されてきた人々の失墜により、「何かによって先験的に抑制されている状態」が必然でなくなり、結果規範は打ち破るべきものですらなく、「なんかそこにあるっぽいもの」「たまに自分の欲求を阻害してきてうざいもの」という程の代物になり果ててしまったのです。

君たちがひきおろした権威だもの、君たちが涵養しなくてはならないのだよ
翻れば、自分自身にとっても、権威は打ち破るものではあっても積極的に尊重するべきものではありませんでした。
自分より年長の世代なら不可触に受容していたものについてあからさまな批判を加えることもしょっちゅうでした。
私自身のこのような言動の結果が、社会的な規範、常識、法、政府、保護者、教育者が自動的に帯びていた権威が殲滅された世界を実現してしまったのです。
それにより、私は年長世代のように、「誰かが涵養しておいてくれた権威を借用して子どもの教育に用立てる」ことができなくなり、しかもそれに長く無自覚なままでした。
極めて素直で正直な子どもたちは、権威についての感覚も、抑制に対する耐性も身につけられず、己の欲求は何処までも叶えられて然るべき、と考える未熟な獣そのままになってしまいました。
自身は家庭内では権威を尊重することを教えているつもりですが、どれだけできているのかわかりませんし、既に社会全体が隙あらばあらゆるものを引き下ろす情勢になって久しく、子どもたちは親の目の届かぬ広い世界を吸収して当たり前ということを考え合わせても、焼け石に水のようにも思われます。
自ら殺害した権威に対し今更蘇生措置を施すというのも随分な仕打ちです。
これから大きな振り戻しが来て、社会全体が権威を尊重する風潮になるかも知れません。
しかし私はそれを待っているわけにはいきません。
今目の前にいる私の子どもたちに権威に対する感覚を涵養し、規範を内在化することで、彼らが行動原理に許している過剰な遊びを周りが軋まない程度に修正しなくてはなりません。
そのためには先ず手ずから権威をこさえ自ら担い知らしめることが必要なのです。
さもなくば私はゆとりの親というそしりを免れませんし、自分自身やりにくくてしゃーないです。
何より、将来我が子と一緒に何かをやってくれるだろう誰かに、申し訳が立ちません。

私は将来の子ども自身から子どもを預かっているのだと考えています。
きちんと育ててくれ、と。
あのときお母さんが教えておいてくれなかったから僕は今苦労しているんだ、どうしてあのとききちんと教えておいてくれなかったんだ、そうすれば僕は僕と一緒にやっている人たちをこんなにも苦しめなくても済んだのに、と言われるのはノーサンキューです。
道理の通じない未熟な獣である子どもたちには「とりあえず従っておきなさい」という権威は、とても有用至便な道具だった。
先人が懸命に涵養しておいてくれた、それをもっと使える形で残しておくことができたはず、なのに。

あなたはうちにはゆとりなんか関係ないと思っていませんか?
「うちの子に限ってゆとりなんて…」と考えていませんか?
そんなことはありません。
あなたの子どもをゆとりから守るために。
そして未来の子どもをゆとりから守るために。
始めてみませんか? ゆとり対策。


ええと、全体的にえらくシビアな論調になってしまったんですけども、うちの子は始終分類A以上のゆとりというわけではないのです。
ただ、たまにハイエンドなゆとりっぷりを発揮するわけで、そういうときにどういう対応をしたらよいのか、ただゆとりとラベル付けをしたところで対応方法がわかるわけではありませんので、ゆとりとは何か、その根っこの部分を分析しようと思い立った、と、まぁそういうわけなのでございます。
ご心配おかけしてしまって申し訳ありません。
おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。


RinRin王国さま、記事の紹介ありがとうございました。

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ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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