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お前に子どもを教育する権利をやろう

先日子どもが夏休みの宿題と称して愛鳥週間ポスター描きを始めたので、ここぞとばかりにお母さんのスキルを注ぎ込んでみた。

何しろ夜の七時に始めて九時にはなんとか終了させねばならん。いかに効率よく見栄えのよいポスターをでっちあげるか、それが最終目的である。

子どもたち二人ですでに昼のうちに
鉛筆で下書き
下書きした線を色にあったクレヨンでなぞる
というところまでは済ませておった。

そうすると次に来るのは一番失敗率の高い色塗りである。

さて、ではなぜ色塗りは失敗しやすいか。

こういうポスター描きでは大体において水彩絵の具での彩色が求められている。
んが、学校で支給される水彩絵の具というのが曲者だ。
何しろ大抵の場合
色を混ぜれば混ぜるほど濁ってゆくマット水彩
なんである。
で、こんなときに備えて私はハンズで一番やっすい透明水彩を買っておいた。
なんかおフランス製だが、この際どーでもいい。
やっと役立つときが来たのだ! いっけぇぇぇ! ルーブル水彩絵具

だが水彩絵の具だけの彩色では時間短縮にはまだ甘い。

チューブ式にはパレットが必要だ。そしてパレットには絵筆が必要だ。そーすると筆洗いやぞうきんも必要だ。作業終了時にはこれら全ての道具を水洗いし干さねばならん。またそれらすべての道具を広げる空間も必要だ。だがんな場所ないし手間もかけたくない。(その前にテーブルからパソコンをどかせ)

そうなると次は貴様の出番だ! ステッドラー・カラトアクェレル水彩色鉛筆、水を含ませると水彩画になる良質な顔料で作った水彩色鉛筆!
これでクレヨンでかいた羽の間を埋めろ! 重ね塗りバッチコーイ、これも透明水彩仕様だから色が濁ることはない。
塗り終えたら今度は絵手紙用の水筆ペンで水分を含ませろ!そうすると恰も最初から筆で塗ったような美しい発色が見られる。
それを繰り返してあらかた塗ったら乾き次第羽の質感を色鉛筆で加えていけ!
最後に空を藍色でぬろう! 透明水彩絵の具を小皿にチューブから出し水で薄めた後適当な大きさに切ったスポンジで拭いていこう! 筆だと一番太くてもむらになりやすいが、この方法なら滑らかで均質な色の空が書ける。夜から朝焼けに遷りゆく空に。
文字も適当に書いてはいかん。バランスを見て、定規で配分して、その中に丁寧に書けばそれなりにかっこがつくからな。

で、最後の仕上げ。第二子のが描いた熱帯の鳥はラメ入りのペンで縁取った。そういう色鮮やかな作品だったからだ。上の子が描いたみみずくは目と顔の周りにだけ手持ちの蛍光絵具を入れた。暗くなると光るという学校だと非常にわかりづらい拘りのギミックだ!

とまぁ。

鳥の図鑑をモデルにそういうお仕事を二時間で済ませて

ふひゅぅぅぅぅ いい汗かいたぜ!

だったのだが。

美術を専門になさっている方から見れば童貞ちんこにも等しく稚く拙いスキルに道具であることは自認している。
が、こういうスキルに関する知識を蓄え、また道具をそろえようと思った動機というのは、
小学校の頃にあまりにも美術系のスキルを教えてもらわずさらに道具にも不足を覚えたための不満
なんである。

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに
という、少し前に話題になった増田の記事があったけれども、テクニック云々以前に、日本の子どもは(海外の事情は知らんが)マット水彩というものの特性を教えてもらうことなく、色はとにかく混ぜれば作れる、ということを叩きこまれてしまう。
さらによくないことに、当時の水彩絵の具の緑要員は
どうみても苔色です本当にありがとうございました

ビリジアングリーン

黄緑
しかなかった。
これでどうあの瑞々しい木々を描けばよいのか、幼い私は途方に暮れ、黄色だの藍色だのを混ぜくっては逡巡しているうちに筆洗いの水がドドメ色になっちゃうというのが落ちであった。

色鉛筆も同じだ。
基本として与えられる十二色には緑が入っていてまだ良心的だったものの、微妙な色はどうやっても出せず、薄塗りに薄塗りを重ねてやっぱりいま一つ綺麗な感じに仕上がらなかったりした恨みがある。

そういう恨みがあって、何故美術展で見る水彩画はあれほど美しいのか、自分で描く水彩画はなぜそもそも色を作る段階であれほど失敗するのか、その間にあるものを調べた結果、透明水彩というものの存在を知った。
さらに今は自分が子どものころより多色の色鉛筆が安くなっているのもあり、子どもに与えた色鉛筆は50色入りだ。
トンボの色辞典も買った。あれは美しい。
その他にも物珍しい画材があるとつい買ってしまう。もちろん素人さんのレベルだけれども。

増田さんの話はよくわかる。
あの頃の画材による見えない天井と考えあわせても、やはり学校の先生の指導には色々と不足があったと思わざるをえない。
画材そのものの特性やその活かし方(ポスターカラーの厚塗り時の堅牢さ・透明水彩のクリアな発色双方を目論んだ挙句どっちつかずになっちゃったようなマット水彩の活かし方というのが未だによくわからないのだけれども)の知識の不在、また一つの作品は一つの画材でのみ完成させなさいというような風潮、それらはもっと自由でいいポスター描きなどの足かせになっているだろうことは否むべくもない。
だが一方でそれらを教えろというのは授業の現状からしてかなり無理なんではないか、と思う。
モンスターペアレントを控えさせた子どもは悪い方の対極としても、一度授業を参観してみると、
技術を教えるなんてそんなバヤイじゃない
机に道具を事故なく揃えさせ、絵のようなものを描かせるだけで手一杯

というのがよーく理解できる。

求めだせば、いくらでも学校や先生に求めることは見つかるだろう。それこそ天井知らずだ。
だが学校とそこに集う子どもらの現状を思えば、
授業参観の度に廊下や教室の壁に貼り出される作品群
が途方もない偉業であると直観できるのもほんとうだ。
先生はたった一人で、教室以外ではけして絵筆を持つことなぞないような子どもを含む、家庭環境もまちまちな三十人からの子どもに、輪郭を鉛筆で描き絵具を水で溶き色を塗り心中のイメージを紙に落とし込むことを教えているのだ。
大変なことである。
勿論教えるのは水彩画のみではない。版画だの粘土だの工作だの、「嗜みとして一度は実践しておいたほうがいいスキル」を一通り教えてくれるのである。
先生というのはほんとうにえらいし、学校というのはほんとうに素晴らしいところだ。
基本的には先例を踏襲すればよいのだろうし、手の抜きどころってのはあるんだろうが、それでもあの作品群を見ると、あれはもう子どもの作品というより先生の指導力尽力の証左としか思われず途方もない感銘を受けるのである。

振り返れば大抵の場合、親も先生も、自分が疑問をぶつけても、
「そのくらい自分で考えなさい」
「そのくらい調べなさい」
「わかんない」
「知らない」
で強制終了するのが常だった。それがいい結果に結びついたのかどうかわからないが、とにかく自分は図書館なぞで手当たり次第に本を読み、いざというときに活用できるよう知識を蓄えておく癖がついた。
道具もそうだ。大人のまなざしで子どものころを顧みて「あれがあればよかったなぁ」「あのときの自分はこういうものが欲しかったんだなぁ」と思い至ったものを見つけると先んじて買ってしまう癖がついた。おかげでいざというときにはミニドラなみの活躍ができるようになった。
「おかあさーん、ポスターがうまくかけないよう」
「はい、透明水彩~」
なんつってな。

増田の人の不満や不足は大変尤もだ。だがその不満や不足は、増田の人自身がこれから出会う誰かの不満や不足の解消につながっていくものだと思う。
そも学校にも先生にも限界がある。それは多分、ごく少数の子どもに関わる機会しかない先生以外の人間には想像すらできないほどにシビアなものだろう。
だから増田の人にせよ、その他の先生の指導に後から不満や不足を覚えた人にせよ、その不満不足を覚えた瞬間に、こう言われたのだと思えばいい。



「お前に子どもを教育する権利をやろう」



子どもだった自分が覚えた不満不足は、今のあなたが今目の前にいる子ども(自分のとは限定しない)に対し、覚えさせないようにすればいい。
先生一人に教育させちゃいけない。そんな重荷は誰も一人では担えない。

というわけで、この増田の人は、きっとよい家庭教師や親御さん、ことによると先生になるんじゃないかなぁ、と、しみじみ感じ入った次第。


RinRin王国さま、記事の紹介ありがとうございました。
nni's blogさま、記事の紹介ありがとうございました。
明日は明日の風が吹くさま、記事の紹介ありがとうございました。
すくみうさま、記事の紹介ありがとうございました。
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ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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