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スク水少女と夏の終わり

 夏の夜、スクール水着の少女にせがまれて。
 墨液のような水面に、すね毛の生えた生白いつま先をそっと下ろした。
 「けっこう冷たいな」
 「涼しいでしょ」
 少女は言い直すと、胸元程の深さに調整してあるプールの中で、僕との距離を測るように、不自由な水の粘性を楽しむように、ゆっくりと歩いた。
 向こうは森だ。黒の影だ。そうして振り帰れば自分らが越えてきたグラウンドが消炭色に沈んでいる。水面には揺れては消える光の笹舟。
 月が円い。
 「塩素の匂い」
 少女は鼻先を水に近づけて言った。
 「塩素の匂い」
 少女は繰り返した。
 嬉しそうに。
 懐かしそうに。
 寂しそうに。
 そのあと少女は、おんぶをせがんできた。
 断る間もなく背中から首根っこに腕をまわしてくる。
 「このまま進んで! 」
 まるで一人乗りの戦車のように、僕は水の中をゆっくり歩き、少女は体を浮力に任せて右に左に行方を楽しんだ。水で滑らかな肌、薄いスポンジのように水を含んだ生地、そうして凍えて蕾んだ胸先と柔らかな乳房とがときどき僕の肩甲骨をからかった。
 僕は月を思った。すべてを青白く照らし出す月を思った。あの月が少女の背中にある燃える片翼のようなあざをいっそ消してはくれまいか、などと宛てもないことを思った。
 

 昨晩「スイムエンジェル」というその筋のネットショップで購入した旧式のスクール水着が届いた。だが開けるなり僕は違和感を覚えた。
 (塩素臭がまるで残っていない)
 ゼッケンも最初にアイロンをあてたときのままだ。着用感がまるでない。
 碌山中学校2年1組、西野千尋。
 几帳面な縫い目。娘のために丹念に針を運んだ母の姿が目に浮かぶ。
 (それなのに、どうして塩素の匂いがしないんだ? )
 その疑問の答えは、次の日の朝に明らかになった。

 僕が買ったスクール水着を着て、僕のシャツをはおった、少女。
 これはどうやらつまるところ幽霊のようだった。
 何の未練があったのか。しばらくの間たわいもないやりとりをした揚句、とうとう少女は半袖のシャツを肩から落とし、背中を見せた。
 その背中の右半分には、まるで燃え盛る炎のような赤いあざがあった。
 このせいで、私、プールに入ったことがなかったの。
 誰かに見られてからかわれるのいやだったから。
 そんなことする子は、ほんとうは誰もいなかったのかも知れない。でも、…ただ知られたくなかったの。私がここを気にしているっていうことを、私が気にしているのがここだということを、知られたくなかった。
 だから、水着になりたくなくて、いっぺんもプールに入らなかった。
 でも、やっぱり、いっぺんぐらい塩素の匂いのするプールに入ってみたかったなぁ、と今になって思ったの。
 だって、プールの後にみんなそう言ってたから。
 だから、ねぇ、お兄ちゃん。
 学校のプールに、連れてって。

 無理だよ、というのは簡単だった。
 でも、近所に小学校と中学校の共用のプールがあり、夏休みの間開放していることを知っていた。
 アクセスの悪いグラウンドに付属しているので、警備が甘いことも。

 夜を待って。

 僕は白のシャツをはおった少女を自転車の後ろに乗せて、プールに向かった。
 月が僕ら二人の顔を照らしていた。
 お兄ちゃんも海パン履いてきたでしょ? と言われて、肯定しながら困惑する。
 (そういえばこんな夏を夢見たことがあった。
 ずいぶん前のことのような気がする)

 予想通りプールには人影がなかった。
 低いフェンスを乗り越えて、ベンチにタオルを置き、プールに歩み寄る。
 少女はそれまでポニーテールにしていた髪を下ろした。
 「ボーシは? 」
 かぶりたくないんだろうな、と思いながら一応尋ねてみる。
 「かっこ悪いから」
 申し訳なさそうにつぶやくと、はしごを伝って下り、少女はゆっくり水の中を進み始めた。
 風が吹く。水面がさざめく。少女が歩く。水面は付き従う。少女が泳ぐ。水面は慌てる。少女が潜る。水面は名残惜しそうに追いかけた後少女の帰りを待ちぼうけ。
 しばらく堪能した後少女は言った。
 「お兄ちゃんも一緒に泳ごうよ」

 
 少女の骨の確かさ、柔らかい肉の量感、滑らかに濡れた肌、ときどき肩に張り付いてくる長い髪。
 僕は水面の月の周りをゆっくりと巡った。さざめきながら映り続ける月の周りを。
 「私ね…」
 少女がささやく。冷たいはずの肌の下から体温が沁みてくる。
 「毎年お母さん、私のためにスクール水着買ってくれてたの。毎年きちんと名札書いてアイロンではじっこぴしっとさせて手で縫い付けてくれた。でも私泳ぐの嫌いだからって言ってプールに入らなかった。どうしても、嫌だった。あの赤いあざは、私の弱さの象徴みたいな気がして。誰も気にとめないかもしれない、そうであればあるほど、いよいよ気にせずにおれない私の弱さが際立ってしまう。
 なかったことにしたかった。あざのせいじゃなく、私がわがままだから、強いから、誰になんて言われてもプールに入らないんだと思われていたかった。
 ある日母さんがお前のあざが治るかも知れない方法があるそうだよ、って大喜びして。実験みたいになるけどとりあえずお願いしてみよう、って。
 あざなんて気にしてないってふりしてるつもりだったのに、ただ私がわがままなだけと思われてよかったはずだったのに、お母さんは、たぶんずっと治療法を探していたんだと思う。
 どこまで治るのかわからないけれども、どのくらいかかるかわからないけれども、少しずつ薄くなるみたいだから、今年の夏には、もしかしたら。」

 だから、この水着はとても特別だった、のに。
 
 「お兄ちゃん。
 この水着、ちゃんと塩素の匂いするようになった? 」
 耳元に少女が囁く。
 「うん」
 「お兄ちゃん私の名前言える? 」
 「西野千尋」
 「よし! 」
 言って少女は僕の頭を撫でた。何度も、何度も。
 「……私生きてたらお兄ちゃんよりずっと年上だけど。
 でもお兄ちゃんの中では、お兄ちゃんのおかげで、生まれて初めて学校のプールに入れた中学生の女の子。
 それでいい? 」
 「……うん」
 背中から嬉しそうな様子が伝わってくる。
 「私のスクール水着、大切にしてね」
 「……うん」

 次の瞬間、確かにそこにあった少女の体は消え、月の揺れる水面に、スクール水着だけが浮かんでいた。




すくみうさまの「2008 スク水作文コンテスト」応募作品です。
つか、指定されたフォーマットを外れているので、コンテスト開催期間にたまたま出来上がったのでうっかり献上しちゃったスクール水着幻想小説ということでお許しください。
すくみうさまには記事のご紹介などで多々お世話になりまして。これにてご恩返しにでもなればやということで。

では
ネコタ斑猫 拝
 
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すくみうさま、こちらこそありがとうございました。

丁度スク水あたりで掌編でも書いてみようかと考えていたところにコンテストのお知らせ、塩梅いいので規格外承知で献上させていただきました。エキシビジョンとしてご紹介いただくというまことにもって粋な計らい、ほんとうにありがとうございました。
スクール水着は事に二次においては抽象的記号的になりすぎておりますが、元来水泳の授業を受ける女子のための制服であり、そうであればもしそれ以外の人物に渡っておるとは主を亡くした状態であるわけです。なんとなればその主は今一体何をどのようにしているのかについて心馳せるのがいっそ持ち主の仕事ですらあるのではないかと思うのです。スクール水着は女学生のもの、女学生の親が購い名札をせっせと縫い付ける、そんな小さな小さな家庭の営みの結び目こそがスク水なのです。そのことを改めたくて、こんな小説を書きました。
もしもすくみうさまにとってよいお味の掌編となれたならば大変な幸いなのです。この伝でスク水ネタで全部で十位やれたらば、またすくみうさまのお心に適うでしょうかね。ああやってみるかな。実は今某出版の編集さんといろいろやりとりしているのですがどうもうまい企画にならないようでくじけているところなのです。少し息継ぎをするために、スク水十選やりましょうか。というわけでここから先はすくみうさまのブログに参ってお伝えいたしましょう。
おほめいただきまして、ありがとうございました。
大変恐縮です。
ではこれにてそちらに
ネコタ斑猫 拝

スク水作文、ありがとうございます!

スク水作文を書いていただき、ありがとうございます!
本日、エキシビションとして私のブログで紹介させていただきました。

本当はコンテストの枠に入れたかったのですが、
ちょいと長文だったもので、はずさせていただきました。
あしからず。

でも、エキシビションとして、これ以上ないくらいの
素晴らしい小説を書いていただいて、とても感謝しています。
なによりも小説を読んで、ほわーっとストーリーに入りこんでしまいました。
この小説に出会えて、とても良かったと思えるほどです。

私のほうこそ、いつもお世話になりっぱなしで・・・(汗。
本当にどうもありがとうございました!!
プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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