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「子どもを叱ってはいけない3つのタイミング」についての素朴な疑問

よく
「子どもを叱ってはいけない3つのタイミング」
として
食事中
出がけ
寝る前
なんてのが挙げられる。

でもこれって育児現役の保護者から見るとユートピア(ギリシア語でどこにもない場所、という意味らしいぞ)的な命題だ。

食事のときに叱ってはいけない理由として
「消化に悪い」
「ごはんがおいしくなくなる」
というのがあるけれども、そうであったとしてもお行儀悪ければそれを正さなくてはならないときがあるわけで。

出かけるときに叱ってはいけない理由として、
「フォローができない」
というのがあるけれども、たとえばその日期限の親がらみの提出物や細かい集金なんかを出されたら、もっと早く出しなさい、と正さなくてはならないときがあるわけで(妙に具体的なのは苦労してるからです)。

寝る前に叱ってはいけない理由として、
「健やかに眠れない」
なんてのがあるけれども、やっぱりとても悪いことをした場合は(誤解で人を詰ったとか、人の話を全く聞こうとせず我を通そうとした挙句ものを破壊したとか…苦労してます)、やっぱり反省するまで叱らなきゃいかんわけで(反省した様子を見せたらすぐ仲直りしますがあまりにひどいことをした場合は和解は次の日の朝まで持ち越し)。

で、素朴な疑問。

じゃあそのタイミングで叱るのを避けている人は、どういう風に上記のような子どものやんちゃを乗り越えているのだろうか。

考えられる状況としては三つある。
1 そういうことを叱らないでも理解してくれる天性のお利口さんを相手にしている
2 タイミングを外して後から叱っている
3 そういうタイミングで子どもがやんちゃしても叱らない

1なら言うことはない。うらやましいなぁ、というのが本音である。

が、2と3であるとしたら、却ってまずいんじゃないか。

2というのは俗に「蒸し返す」というヤツである。
この「蒸し返す」という所為、実のところ世間では「子どもを叱ってはいけない3つのタイミング」以上に忌み嫌われていると思うのだ。
なぜなら
A 状況の想起がしにくいため、問題点を整理しにくくなる
B その場その場で保護者が結局どう思っているのかがわかりづらくなるため、保護者を信用できなくなる
からだ。
そしてAよりも実はBの方が弊害が大きい。なぜなら、幼い子どもにとって世間のほとんどを占めている保護者がそういう
行動の肯定の裏切り
を繰り返した場合、世間には裏があり、今受け入れてくれるように見えている相手であっても実際には受け入れてくれていないんじゃないか、実は内心でダメ出しされているんじゃないか、と恐れるようになりかねないからだ。
こういうの、身に覚えのある人がいるんじゃあないかと思う。後から蒸し返されることを繰り返すうちに自分の行動に自信を持てなくなり、相手の笑顔の裏にありもしない否認を探すようになり、結果的にうまく行動できなくなってしまうのだ。
そうなると、結局処世術としては
世間を信用ならないものとみなして独善的にふるまう

自分をダメなものとみなして世界から遠ざかろうとする
か、どちらかになってしまう。
で、そういう侘しい処世術の根っこが、もしもこの
「タイミングを外して後から叱る」
というのにあるんであればそっちの方が問題なんじゃないのか。

なお、もちろん世間的に今叱るわけにはいかねぇ! という場合があることは重々承知している。
が、そういうとき自分の場合はいっそ積極的に叱るか、目で叱るか、いずれ
「君の行動を肯定しているわけではない」
ということを全力で伝えるようにしている。
さもなくば子どもはそういう例外規定を積極的に悪用しようとするからだ。
いずれルールには例外があることを知り、またそれを活用することを学ぶべきときが来る。だがまずはルールというのは基本的に遵守することを求められるものだということをきっちりと叩き込まねばならんと思うのである。

3については、子どもを叱ってはいけない3つのタイミングを考える前にしつけを考えるべきだと思う。天性のお利口さんを相手にしていないのなら、少なくとも食事の時間に叱らずに済むことはないと思うのだが…。

というわけで、ここまで読んでくださった方には、
「子どもを叱ってはいけない3つのタイミング」
というのが、わりとナンセンスであることをおわかりいただけたと思う。

正直、命題に挙げられた3つのタイミングに子どもを叱らずに済めばどれだけよいかと思うことは多い。だがやはり
「そのうちわかるだろう」
などと手綱を緩めてしまったそのとき、子どもはその行動が肯定されたと認識してしまい、結果後からの訂正が難しくなってしまうのである。
それは結局のところ、子どものためにならないことだ。

保護者というのは、将来の子ども自身から、そして将来子ども自身が関わる人々から、子どもを預かっているのだと思っている。
「どうしてあのとききちんと教えておいてくれなかったんだ、あのときあなたが肯定してくれていると思ったから僕はこのまま来てしまったじゃないか」
「どうしてあのとききちんと教えてやっておいてくれなかったんだ、あのときあなたがきちんと教えておいてくれなかったからこいつに付き合っている僕たちはこんなにも苦労しているじゃないか」
と言われないように、何かとがんばる心づもりである。ハイ。
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ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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