先日
「
重度の貧乳に適切な水着を考える」
という記事を書いた。
その際念頭にあったのは、
「何故現在の水着デザインに多様性がないのか」
という切実な疑問であった。
が、日経トレンディネットの記事を見て驚愕すると共に得心した。
何故現在の水着デザインに多様性がないのか。
それは女子連が強力なバストアップブラ同様の
「寄せて上げて機能」
を水着にも求めているからだ。そのために水着のほとんどはパッドを入れてもそれとわからない分厚いビキニスタイル、胸元の補正機能を隠すためのリボンあるいは飾り、というデザインに落ち着いてしまうのだ。
なるほど、普段からがっちがちのバストアップブラで胸元を固めている女子連がフツーの水着だとそれこそ「こころもとない」気持ちになるというのはよくわかる。
また、ギミックがブラに準じる以上、デザインの基準がビキニになるのもよくわかる。ワンピースだとそういう機能を持たせにくい(というよりぶっちゃけ持たせられない)のだろう。
それゆえに、あれほど毎年「今年の新作水着ショー」を謳っておきながら、変化があるのは柄や飾りや周辺の小物(例:パレオやタンクトップ)ばかり、ベースのデザインはビキニから微動だにせず、「デザインそのものの目新しさ」は望めないという現状になり果てているのである。
だがちょっと待ってほしい。
そのようなデザインの水着の隆盛とそこから当然のごとく導き出される多様性の磨滅は、すなわち
それぞれの女子のプロポーションを活かすデザイン
という視点を殺戮してはいないか。
誰もが理想的なプロポーションの世界など、銀河鉄道999の蛍の町とコブラだけで十分だ(寺沢先生は大好きだが電気使いのミスティーが貧乳という設定には殺意を覚えた)。そうであれば、ぽっちゃり系ならぽっちゃり系、ひんぬーならひんぬーで、それぞれの特性の活かしどころがあるはずだ。というよりそうであってほしい。
が、現在のがっちがちのバストアップブラに代表されるのは
「マスメディアに提示される理想的なプロポーションに多様な個性を持ったからだを押し込めるのが当然の世界」
である。
そこに個性を活かすという視点は、ない。
化粧もファッションも、そしてそれらのベースになるからだまでも、マスメディアに提示される定型に押し込めるのが当然という世界では、化粧、ファッション、そしてからだの自由なぞ望みえないのだ。
そしてこの世界には、実のところ驚くほどに男子目線が欠けていると思う。
男子は触ってもやーらかくない胸に魅力を覚えるだろうか。
動いても揺れない胸に魅力を覚えるだろうか。
そして、いざことに及んだ時、外から想像しえた適乳とも華奢な貧乳とも異なり、
背中や脇の余った肉を寄せて上げて拵えた虚乳
であったと知ったとき、どれほどの失望を覚えるだろうか。
その落胆は、たぶん女子が想像しているよりも遥かに大きい。
さらにいうなら、己の個性を殺して定型に押し込める営みにも無理がある。
個性を無視した化粧やファッションをすればするほど、逆に個々人の持つ多様性が際立ち、結局のところ「ほんとうに容姿に恵まれた人」に軍配が上がってしまうからだ。
とはいえ、女子連が個性を無視した定型に自分を押し込めようとするのも理解できなくはない。
ファッションとは個人が社会のどの階層どの集団に所属するかを示す最もわかりやすい記号だからだ。
そうやってどこかに所属していることを積極的にファッションという記号で表すことで、女子連は安堵するからだ。
だがあえて言おう。
バストアップブラは記号以前の問題だ、と。
そんなものより、多様な個性を活かしてほしいのだ、と。
定型化されたからだに、フェティシズムを発動する余地などないのだと。だがメーカーは今後も売れる水着を作るだろう。
そうしてバストアップ機能は今後も充実してゆくだろう。
そして水着というものの持つほんとうの意味でのデザインの可能性は削られてゆくだろう。
女子の水着には、デザインの自由なんてなかったんだよ…。
参考記事
“水着のプロ”が全貌公開! 最新「パッド&寄せ上げ」事情【2008年水着トレンド報告:その4】
んでは
ネコタ斑猫 拝