子どものうそはうそじゃない

子どもは成長の過程でうそをつくが、そのうそは大人のうそとは質が違う。
それは己の願望に基づいた世界の再構築とそれに基づいた個人的な世界の描出(時には証言)に過ぎない。
だから子どもは、自分のうそが他所に影響を及ぼすなどとは思いもしない。
なぜなら大人にうそとみなされてしまう自分の発言とは、自分のいいように歪めた現実のかけらで再構築した世界の描出(或いは証言)に過ぎないからだ。
徹頭徹尾己の世界の中で完結すべきいわば手前味噌なファンタジーのほのめかしに過ぎないからだ。
ゆえに彼らには、うそをつくことが誰かを傷つけることになるなどとは思いもよらず、
誰かを裏切ることになるなどとは思いもよらず、
ましてや世の中の道徳に背くことになるなどとは思いもしない。
彼らはただ無邪気で無心な試したがりやなのだ。
そうであれば、そのような「うそつきぼうや」の周りの大人たちの仕事としては、
自分の願望のままに歪めた世界を周りに押し付けてはならない
自分の願望で歪めた世界を押し付けることで周りの人の世界まで歪めてはならない
ということを知らせることが第一であり、そのためには
自分の願望を振り払った先にある客観的な事実のみが証言に足ること
人は主観的にしか生きられるものではあるがそれを承知した上で客観的であろうと努力すること
客観的でありきれる自信がないときはいっそ語ることをやめること
他者の気持ちはわからないものだから憶測して語るべきではないこと
世の中では己の願望に基づいた世界の再構築とそれに基づいた描出(時には証言)は悪と見なされること(無理に匹敵する神聖な不文律の概念をここらで知らせておくのもいいように思われる)
などを厳然たる態度で教え込んでやることが必要だ。
嘘をつかれた側の気持ちだの信頼だのの話は、正直、その後に来るものだと思っている。

幼い子供は世界に出会い、先ず圧倒され、それから世界と交流し、言葉や行動をやりとりすることでそれなりにうまくやっていくことを覚えていく。
うそというのはそのような発達過程で出会い自然に用立てたくなる個人史的な実用新案のようなものだと思う。
言葉を通じて世界とそれなりにうまくやっていくことを覚えた子どもが、今度は言葉で思うように描出しなおすことでいわば世界を調伏しようとするわけだ。
呪文や言霊信仰にも似た、文化的にも妥当な発明だ。
だが、それを認めたからといって、うそが社会的に容認されるものではないという事実が揺らぐわけでもない。
ではそのような発明に夢中になっている子どもたちに周りの大人がしてやれることとはなんだろう。

願望に基づいて再構築した世界の外にあるのが現実の世界だと教えてやればいいのだ。
もう一度世界に出会わせてやればいいのだ
そうしてそのときに用立てるべきは、大人用に誂えられた安易な通念としての
「うそ」
という言葉ではない。
お前が己の願望に基づいて再構築した世界の外にこそ皆と共有しうる世界があるのだと教えられるような、先んじて生きた人間としての見識なのだ。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
検索フォーム
最近の記事
カテゴリ
リンク
最近のコメント
月別アーカイブ
RSSリンク
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近のトラックバック