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自分は弱者の代弁者だと思っている強者が現実をややこしくしているのかもしていないという仮説について

先日掛かった歯科矯正の受付から電話がかかってきた。
何でも第一子を病院に連れて行ってくれた母と受付とでトラブルがあったらしい。
治療計画の作成、矯正具のための型取り・作成総額70万のほかに、通院の度に診療費4000円がかかる。
それを理解しておらず、なんでかしらんが診療は2・3回分で済むと思っておったらしい。
で、受付で4000円出すのをごねて、今回は払うけど次はちょっと家のものと相談します、とか言い出して、予約も取らずに帰ったらしい。きゃー。
こっちとしては蒼白ですよ。
そのうちとうとう先生に替わられて、ご不快な気持ちにさせて申し訳ありません、こちらの説明責任不足です、などと言い出すものだから、こっちの方こそ恐縮して、先生の説明は十分だったし(くどいくらいダタヨ! )計画書にも明記してあるのは私も確認しております、その件については私から母に説明しておきますから、と言って謝った。
で、それについて実家に電話したところ母が不在で父が出て、治療射計画書にも矯正費用70万のほかに確かに3週間から8週間の通院のたびに4000円から5000円かかると書いてあるから母が勘違いしたんだろう、と至極冷静に言われ手打ちになった。
はずだった。

その後母から電話。
まぁ色々言われたのでこちらもくどくど説明したのだが、驚いたことに母の主張の根幹は
私のようなおばあちゃんにもわかるように説明しないのがいけない
「そんな大金私たちだから用意できるけど(三分の一出すといったのを断られた(;∀;)イイヒトダナー)(更に一部は元旦那に負担してもらう遺伝なので)貧乏な人だったらどうするの」
というものであった。
で、わからなかったんだったらその場で聞けばよかったんじゃないか、と聞くと
「その場ではそんなこと気づきもしなかった」
という。
更に
「友達にあの先生の評判聞いたんだけど、一人治療途中でやめた人が居たって。理由聞いても教えてくれないけど、どうかって思ってるのよ」
などと言い出す。
それは相性とかもあるだろうし理由答えないって時点で微妙さを想定しろよ('A`)←心象風景

で、あんたから説明聞いたってしょうがない、先生にもう一度説明してもらう、と納まらない様子である。
が、こちらとしてはとりあえず先生には私から説明して納得させておくみたいなことをいっちゃったわけだし、ナントカ納まってもらわないと困る。
のでとにかく気持ちを納めることだけを目的に話をした。

「とりあえず70万総額のほかに都度の診療代4000円を上乗せすると、下手すると100万いくかもしれない、そういうのを総額表示しないのがおかしい、っていう話だよね。
でもお医者さんの側としても、個人によって調整が少なくて短い期間で済むのか、それとも調整多くて長い期間かかるのかは全く異なるから、総額としては言いようがなかったんだと思う。
 でも診療一回に付き4000円っていうのは確かに治療計画書に書いてあったし説明もされた。3週間から8週間に一度の診療っていうのも明記してあった。顎の成長促進は10歳から始めて個人差あるけど半年から1年半(だったかな? )かかる、で次の歯科矯正は12-13歳から1.5~2年かかる、っていう風に明記してあった。それを見れば大体いくらぐらい必要かは概算できるんじゃないかな。
 で、たとえばあなたにあんた一人じゃ出せないでしょって言われたけど、私がひるむとしたら最初の70万総額だと思う。下手すりゃその時点でアウト。
でも先生は10歳から多分16歳くらいまでの間に70万で、それも最初期に30万、あとは10万ずつでいいですよ、って言ってくれた。それならなんとかなるかな、と正直思う。
で、その後のあなたが問題にしてる診療費だけども、ほぼ月に4000円って言ったら、自分も散髪代そんくらい出してるし、習い事の費用だったらもっとかかるし、携帯一個増やしてもそんくらいだよね。
 それは、歯科矯正の70万を用意できる人だったら、それほど負担にならないと思う。
 それもいちどきじゃないからね。
 あなたは一時に百万用意しろみたいな話にしてるけど、けしてそうじゃない。すごく考えてくださってると思う。
 で、職場の先輩でお兄さんが矯正歯科なさってて、自分のお嬢さんがその歯医者さんに掛かってる方もいるけれども、その方も今回の話聞いて
「それは安いですね」
っておっしゃってた。
矯正具クリアタイプもプレゼントしてくれるって言ってる。誰にでも言ってるのかもしれないけど、それはやっぱりありがたい。
 で、私が何を心配しているかって言うと、あなたがクレーマーととられてしまうことなんだ。
 とりあえず市内にいい先生が見つかって、通うの楽だしよかったなぁと思ってたら通院三回目でこんなことになったわけで。
 先生に、あれだけ説明して治療計画書にも同意したのにわからないとか言い出す厄介な相手、って認識されてしまうのは避けたいんだよ。
 だから私のほうから説明します、って言っておいたんだ。
 長く付き合うわけだから、なるたけ穏便な関係であって欲しい。
 私の説明で納得いかないんだったらそれは先生から説明受けたほうがいいと思うけれども、やっぱり先生とはいい関係を築いておいたほうがいいと思うんだけど」
 したら
 「…じゃあまぁ考えとくわ」
 で切られた。

 
 どうもすっきりしない気分のまま、似た様な手触りのことがあったなー、と脳内を検索。
 思い出した。
 母に市内の産婦人科状況を尋ねたときのこと。
 どうもうちの市内は今のところ産科崩壊には至っていないらしい。
 「たくさんあるからねー(産科が)」
 と運転しながらいう母。
 「でも最近定期健診受けないでいきなり来院出産妊婦が増えてるらしいよね。さらに踏み倒しとか。リスク高いところに持ってきて産児に問題あったら訴訟起こされたり生み逃げされたりとか、事前からきちんと定期健診受けて周到に予約してた妊婦さんが結局正当な処置を受けられなくて逆に産児に問題が発生してしまったとか、色々あるみたいだから、いっそのこといきなり来院出産妊婦は拒否できるぐらいにしたほうがいいんじゃないかな」
 と言ったところ
 「そんなことはすべきじゃない、今は少子化だし、産んでくれる人は受け入れるべきだ」
 という。
 「でも検査してないからリスク高いよ」
 というと
 「検査費用は助成すべきだ」
 という。さすがにこの俗的意見には参って
 「検査費用出せないような世帯が子ども生むべきじゃないと思う。一口に助成っていうけど財源が大変なことになるし、連中下手すりゃ検査費用を流用しかねないし、子ども生まれたら生まれたで生活保護にしがみついて育児手当まで流用して給食費出さないし、それより真面目にお産しようとしてるちゃんとした妊婦さんのノイズになるのが納得いかない。今産科が減ってるのはやっぱりそういういきなり来院出産妊婦や救急搬送出産妊婦が増えたせいで、それがなければそこそこ商売的にも成り立ってたはず。」
 と言ったのだけれども、頑として母は
 「子どもは宝。今は少子化。国や自治体はできることをすべきだ」
 といって譲らなかった。

 
 さて。
 うちの実家は以前は時代的にどんぐりの背比べな貧者であったが、現在は正直中堅の金持ち、小口ながら地位も名誉もある。
 そういう人の弱者観は、自分に比して
 「人間的には悪くないけれども社会構造的に現在は貧しさに置かれている人々」
 ということになっているのではないか。
 あのときあと少しの補助があれば。
 あのときあと少しの収入があれば。
 そんな気持ちが、
 「最底辺の弱者にこそ手を差し伸べるべきだ」
 という主張とその実現とに繋がっているのではないか。

 正直、今回の件で、
 極端な事例、極端な主張にまで手厚い庇い立てがなされようとする、その奇妙な構造
 の底にあるものを見たような気がしたのだ。

 だが底辺に果てはない。
 ここまでと見切ったつもりの最低に更に底がある。

 人生からあらゆる努力と義務とを廃する彼らが言い立てる権利と他者からの搾取により健全な社会にもたらすダメージは、大きい。
 今の医療の現状を導くほどに。

 だが現在の強者にはそれが見えていない。
 むしろ今の弱者を助けることこそが、
 「あの頃の自分を助けること」
 だと思っている。
 それこそが「優しさ」だと思っている。
 
 そうじゃない、そうじゃあない。

 人生から努力と義務とを廃し権利を言い立て他者に拠って生きる旨みを覚えた人々に更なる追い銭をやるのは得策か?
 否。
 彼らに与えるべき補助は魚ではない。
 魚の取り方だ。

 そこで何が起こっているかについての判断を停止し「努力と義務とを果たせる立場に至れなかったかわいそうな人たち」と一律に分類すれば、ほんとうに努力と義務とを果たしえない弱者と、弱者のための補助にたかる人々とを分かつことは難しい。

 てかぶっちゃけ医師の説明責任っていうのも、義務化された当初は極度に高ビーな一部の医者が患者はどうせわからないんだから説明せずにガンガン施術したれ、ってなってたのを補正するための義務化であった。
 その頃の説明内容の想定基準は
 「普通の患者さん、治ろうとし医師の説明を理解しようとしわからなければ質問してくれる患者さん」
 ではなかったか。
 自分の誤認の可能性を認めず、話し合いながらメモした治療同意書に書いてあっても「わかるように説明しなかったそっちが悪い」などと権利を言い立てる患者ではなかろう。

 そういう認識の人はつまり
 「言うとおりにしてたのに治らなかった」
 とか
 「思ってたより痛かった」
 とか
 「医者にかかれば治ると思ってたのに治らなかった」
 とか、独りよがりな権利を医者に言い立ててくる問題ある患者と同質なのではないか、と戦慄したのである。

 「最も理解力のない者にもわかるように説明してほしい」というのは一見正当な権利意識だ。
 だが
 「そっちが説明したかは問題じゃない、同意書に書いてあっても関係ない、私に理解できないような説明しかできないそっちがダメなんだ
 でことを進められたら、正直
 医者は治療なんてできなくなってしまうだろう。

 わが母ながら、「弱者の立場でものを見ているんだ」という主張の裏にある理解の努力の捨てぶりに、正直驚愕した。
 そんな擬似平等で実のところただの自己中心に過ぎない権利意識のもとにことを進められたら、正直社会は崩壊するだろう。
 そしてそれが社会の現状だ。
 
 情篤く昔貧しく今は発言権を有している強者どもへ。
 世相も時代も社会も変わった。
 あなたが想像している弱者と今の補助希望者とは違う。
 あなたはなるほど若い頃苦労して、立身出世伝の中の人物となるほどの地位を得た。
 が、今問題になっている執拗なる補助希望者は、そのような青雲の志とは程遠い。
 たかろうとする人々だ。
 努力と義務とを人生から廃し権利を言い立て他者に拠って生きようとする人々だ。

 彼らはあなたではない。
 たかりに生きる人々に金を出すな。
 自助努力な人々にこそ、正当な補助をなせ。 


駄文にゅうすさま、記事の紹介ありがとうございました。
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非公開コメント

jpfield様、コメントありがとうございました

うまい比喩であればあるほど、それを展開させる危うさがあるものと思っております。
魚の取り方を教えるべきだ→多くの人に魚の捕り方を教えると、自分の魚の価値が下がるというのは比喩で展開すると妥当ですが、元記事に立ち返り
「働けるにも関わらず生活保護に頼っている人々に金を稼ぐことを教える」
となると、現在働かずに税金を食いつぶしている人々を労働力に転換することになり、けして比喩の延長にある「サカナの価値を下げる」ようなことにはならないと考えます。
これが何を表しているかというと
元の事象に立ち返らず比喩を比喩のまま語り続けようとする危うさ
であると思います。
もし今現実に同じ川岸に住む何人かに私が魚の取り方を教えたならば、確かに魚の価値は下がるでしょう。
しかしながらあれはただの比喩です。
というわけで比喩を比喩のまま語るのは難しいということでファイナルアンサーでよろしいか?
では
ネコタ斑猫 拝

「多くの人に魚の捕り方を教えると、自分の魚の価値が下がる。」
さらに続けてみました。

ichiさま、コメントありがとうございました。

調べてみましたところ
「ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。
魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える。」
という中国のことわざがおおもとのようです。
http://www.meigensyu.com/conduct/index2.html
楽できることを覚えると歯止めが利かないという現状の裏側には、がんばってもどうせ結果は出せないという現実への諦観と自身の能力への失望もあるのではないでしょうか。
そうであればなんらかの形で自信復調させねばならないわけで、そんな手間かけるよりは金出す方が楽だったりするのが現場の実情なんではないでしょうか。
せちがらい世の中です。
とりあえずたかられそうになったら全力で拒否しましょう。私たちにはその権利がある。

では
ネコタ斑猫 拝

魚のとり方を教えろ・・・。どこかで良く聞く表現です。
とてもその通りだと思います。今の社会の現状はたかろうとする人間が多すぎる。
ゴネればなにかしてもらえると勘違いをしているのか。
よくまあそんな生き方ができるものだとうんざりすることもあります。
面白かったです。ありがとうございます
プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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