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私家版美味探索記事心得

週一ベースでランチを外食し、それをネタにぽつりぽつりと記事を書かせていただいている。
で、そのときに一番大事にしているのが
口に合わなければ記事にするな
という信条である。

美食体験は記事への強いモチベーションとなる。
そして、期待はずれであった体験、あるいは何かしら腑に落ちないもてなしを受けた体験も同じように記事への強いモチベーションとなりうる。
が、自分はけしてそれらをネタに記事を書かないよう自分を戒めている。
なぜか。

もしほんとうにその店によくなってほしいのなら、その店に直接個人的に伝えればいいことだからだ。
料理にせよもてなしにせよ、もしそれがどう考えても致命的な不具合であり、そしてそれを解決してやりたいのであれば、ただ伝えてやればいい。
が、そこまで親身になる気がないなら、どこの場でも黙っていよ。

もしかしたらそれはたまたまその一皿のみがそうであったのかも知れず、
もしかしたらそれはただ自分との相性の問題であったのかも知れず、
だがもしそうでなければ、その店は私のそしりを待たずとも、自ら滅びてゆくだろうからだ。

これは他の人に伝えたほうがいーんじゃないかなー、同じ目に会う人いないほうがいいんじゃないかなー
などとヘンな義侠心にかられるかも知れない。
だがやはりやめておいたほうがいい。
なぜなら、当たり前のことだが、人の感性は一律ではないからだ。
そして、その店を美味いと思い、あるいは愛している人が、その店をそしっている記事を読めば、そのひとは苦しくなるだろうからだ。
私がそうであるのと同じように。

だから私はけして腑に落ちなかった店のことは記事にしない。
が、すばらしい店については全力で記事にする。

ところでここで私がいう「すばらしい店」とは、料理単体がすばらしい店と同一ではない。

私は料理についても食材についても素人だ。
序にいうと舌も荒い。
そんな私が料理の仔細を語ることはできない。

そうなると、私が語りうるのは
体験
であり
その店が与えてくれた感動
なのである。

非常に珠玉なケースでいうとこんなの

自分はだから、自分基準で十分に美味と判断できたもののみを記事にするのだけれども、そのとき常に美味+アルファで篩にかけてしまっているのである。
それは自分の内的な体験でもいい。
期待値をはるかにうわまわる美味さであってもいい。
その期待値は私的なものだが、自分がどれだけその体験で圧倒されたか。
そういう情動のある記事の方が、読み手としても面白いのではないかと思うのである。

それから。

今まで語る勇気が出なかったのだが、もうひとつ理由がある。

とある店に赴き、料理について尋ね、写真を撮らせていただき、順当に記事にした。
そしてその数ヶ月後(あるいは一年くらい後かも知らない)。
店のメニューが変わったので、追跡取材に店に行った。
写真を撮り、少し料理について尋ね、食べ終わった頃。
デザートをサービスされた。
「以前この店の記事を書いてくだすった方ですね?
ありがとうございました。
このデザートはサービスです。」

うそーん!

って自分が驚愕したにはわけがある。

最初私が取材したときの店員は、そのとき一人もいなかったんである。

何故私がその記事を書いたとわかったのか。

その店で料理の写真を撮る人は少なかったのかも知れない。
そして店員さんはそのときの自分の風貌を遡って伝え聞いておったのかも知れない。

それにしたってどうしたって
正直、驚愕ッ!
な体験にすぎる。

手放しの賞賛ですらこんな執着のような反応を導き出すのである。
いわんや蔑下をや。

なわけで、自分は
口に合わなければ記事にするな
と心得ているのである。


参考:本音で語った反響と、前向きな書評への御礼
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ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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