ひとをずるいとねたんではいけないとこどもにおしえたよ

うちの第一子、第二子をずるいとねたんで報復措置に出るので大変なのだ。

第一子が風邪でお休み中のこと。
元気な第二子がお友達と約束して遊びに行こうとしたところ、えらい剣幕で怒り出し
「お前のDSどうなってるか知らないからな! 」
(DS持ってない子のところに遊びにいくのでDS置いてった)
と宣言、帰ってきたらジャンプアルティメットスターズのデータが「バカ」と書き換えられていたという。
ちょっと受けた。
で、第二子は絶望的にしくしく泣いているので(リペアは可能)何故そんなことをしたか、と質すと
「第二子だけ遊びにいけてずるいから」
だと。
なんかもうお前らあほやろといいたくなる脱力事件なのだが、この手があまりに頻発するので説教する羽目になった。

「お前さ。
お母さんがな、ガッコで会ったほかのお母さんがお母さんが買えないような素敵で高い鞄持ってたとするよ。
で、お母さんそれずるいと思って、たとえばそのなかにゴミを入れてやったりわからないようにナイフで傷をつけたりしてだな。
それですっきりした、なんてうれしそうに報告するお母さんだったとするよ。
それとか、あんまりうらやましいから盗んで帰ってきちゃった、あー得した、とかぬかしたとするよ。
それ、お前うれしいか? 
それってお前的にうれしいお母さんか? 」
さすがにうれしくない、という。うん、よし、そこは共有できてるんだな。
「でもお前がやってるのはそういうことだぞ」
と釘を刺しておいて。

「お前はDSは持ってるけど他のテレビに接続するタイプの据え置き型ゲームは持ってない。
で、Wii持ってる奴うらやましいって思うかも知れないよ。
んで持っててずるいって思うかも知れない。
でもそうやってずるいって思うことはね、とても自分を不幸にすることなんだ。
うらやましいからずるいって思い出すと、そこで自分の中に足りないところが生まれるからだ。
その前までは
「あいつは持ってる」
だけだったのに、うらやましいからずるいになると
「あいつは持ってておれは持ってない」
っていう風に比べちゃうからだ。そうして誰かに比べて自分が不足してる、足りないところがはっきりしちゃうからだ。
そうするとそこを足らせたくなって、なんか悪いことしちゃうんだ。
欲しい欲しいってわがまま言い出すとか、相手のものとっちゃうとか、相手のもの壊したり傷つけたりしてすっきりしようとか。
でも、Wii持ってる誰かだって、もしかしたら第一子みたいにマンガ読みたくてもお母さんからマンガ買うの禁止されててお前がマンガ鬼のように持ってること知ったらうらやましいって思うかもしれないだろ?
みんなそれぞれ持ってるものってのは違ってて、お前は誰かの何かをうらやましいと思うかもしれないけど、お前も誰かにうらやましいって思われてるかも知れない。
でもそれがずるいになっちゃうと、人っていうのはそういう不足をなんとかしたくなるから、悪いことをしちゃうきっかけになるんだ。

誰かの持っているものをうらやましい、ずるいって思ってばっかりいると、自分が足りないところばっかりに思われてくる。
そうすると、それを満たすために色々なことをしたくなる。
でも、自分の知ってる誰かが持っているのは得だ、だって貸してもらったり見せてもらったりできるから、と思うと、足りないところは増えなくて、自分が借りたりできるものが増えるだろ。
そうするとすごく楽しいだろ。
だからそういう風に考える癖をつけなさい。
足りないところを増やしていくと、それを満たしたくてたまらなくなるから、だんだん悪いこともしてしまう。
そうすると、悪いことをすることが平気な友達ばっかりになって、その友達で集まって足りないところを見つけあって、周りがずるいずるいって思って、それを満たすためにまたどんどん悪い方向にいってしまう。
そうやって心を黒くして黒くして、そういう人は最後に刑務所に入るんだ。

わかった?
足りないところを増やすのはやめなさい。
人をうらやんで、持っているのがずるいとか思うのはやめなさい。
誰かが持ってたら、自分も借りることができるかも知れない、って思いなさい。
そのほうがずっと楽しいよ。
まるで自分の持ち物が増えたみたいで。」

なんか遊びにいくこととものの話とで話が混線してしまったが、一応わかってくれたようで、その晩の日記には
「今日はお母さんにためになる話を聞いてよかった」
と書かれておった。

やらせかと思ってびびった。


駄文にゅうすさま、記事の紹介ありがとうございました。
明日は明日の風邪が吹くさま、記事の紹介ありがとうございました。


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[コラム・エッセイ]ひとをずるいとねたんではいけないとこどもにおしえたよ(from 駄文にゅうす)

 ずるいと妬むなというのは分かる。それで悪い事をするなというのも分かる。でも、足りない物を増やそうと思うのは悪い事だろうか? 足りないからこそ、正しい方法で増やそうという思いは、努力に繋がるような気がする。  問題は「悪い事をする」という点にあると思う。

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こんぺいとうさま、またまたコメントありがとうございました!

手塚についてはおおむねそういう理解であっていると思います。自分も手塚さん→大友さんについての記述はソースあたってないんで怪しいです。すいません。
プラス方向に向かう感情は「負けん気」でよいのだと思います。負けん気と嫉妬はあきらかに違いますよね。子どもらには負けん気をもってほしいものです。
子どもがうらやむものが彼の持つスキルなのかものなのか、それによって「いいないいな」への対処も違ってくると思うのです。ものであれば書いたような屁理屈を持ち出してもよいし、何故それが欲しいのかを尋ねてその理屈が妥当なものであればいつどのように手に入れるかを一緒に考えればよろしい。スキルであればがんばろうなんですが、「どうせあたしにはできないもん」とか言い出すかも知れません。我と彼とのスキルの間に埋めがたい空隙を設定してしまうわけです。これは自信のなさから来る行動です。この埋めがたいという認識はそれこそ嫉妬に向かうので大変よろしくありません。ではどうするか。
保護者がお手本になりましょう。人はがんばればいくばくかは成果を上げられるんだよ、とお手本を見せるために、お母さんが何がしかの習い事なり趣味なりに携わり、そしてそこで努力をし、なにがしかのスキルの上達または成果を喜んでいるところを見せましょう。保護者の先導なきところで努力を謳っても説得力はありません。そう思って自分はあれこれやっております。
こんぺいとうさんはうちのような弱小ブログにまでお越しになって子ども問題を考えておられる。お子さんはとても幸せだと思います。自分も不足だらけながららぶりーちゃーみーでぷにぷにで病気で弱るとお母さんのそばにいたいとか抜かしだすわが子らのためにカッコいい大人への長い長い男坂を登り続けたいと思っております。いや男坂じゃないですねすんません。
では
ネコタ斑猫 拝

嫉妬と努力

すごくご丁寧な返答を頂き、恐縮です。

手塚の例は、あまり良くなかったのかもしれません。
自分は、手塚研究などとはまったく疎い人間ですが、たまたまどこかで「あの人はすごく嫉妬深くて、人の全否定とかするけど、その実 裏では相手の技や特徴を盗んで、自分のものにしちゃうんだよ」みたいな記述を目にしたんです。
で、そういうこともあるのかなー、なんて思っていた次第です。(真偽を確かめもせず)

しかし、嫉妬と努力は別だよ、という話も「そうかもしれないな」と思うわけでして。
この辺、プラス方向に向かう感情は「嫉妬」ではなく「憧れ」とか別の言葉にするべきなのかもしれませんね。
#言葉遊びになっちゃうかもしれないけど

受け止め方が肯定的になるか否定的になるかは、ご指摘の通り「努力」が大きなキーワードになってる気がしますね。
やっぱり、努力とか向上心は美しい、みたいな感情があるからかしらん?
最終的に自分や周囲にプラスになることはOK、みたいな面もありそう。

子供の「いいないいな」病には、今後さらに悩まされそうなので、わたしもゆっくり考えてみたいと思います。

こんぺいとうさま、コメントありがとうございました

私見ですが。
妬みや嫉妬というのは努力への原動力にはならないと思うのです。
誰かを見て比較して自分に足りないところを見つける。そこから嫉妬・妬みが生まれたとして、それはじゃあどういう風にいくかというと、手塚だとたとえば相手を認めない(おおともさんとか)に出たわけです。で、それは一体あの膨大かつ才に満ちた作品群の原動力になったのか。違うんじゃないかなぁ、というのが私の所感です。嫉妬や妬みがエネルギーになったんでなく、誰かの優れている点への嫉妬は嫉妬であり、そして自分のフィールドでの努力は努力である。手塚などの偉大なる人々の一部においては嫉妬する力が非常に強くかつ膨大な努力家であったからまるで嫉妬が創作の原動力であるかのように語られることが多いけれども、実のところそれらは全く別の領域のお話なんではないかと思うのです。あいつがこういうマンガを描いた、よし、俺はもっとすごいものを描くぞ、というのはその時点で既に嫉妬ではありません。彼は既に自分のフィールドに立ち返っています。嫉妬というのはいつまでも自分のフィールドに立ち返ることなく相手のフィールドにへばりついてねちねちと貶めたり足を引っ張ったりする所為ではないかと思うのです。嫉妬はすれども自分のフィールドに立ち返ってきちんと努力することを知っていた手塚さんは、それゆえに立派な業績を残せたのではないかと思うのです。
なわけで、嫉妬と努力の間に何らかの関連を見出すとすれば、嫉妬と努力の前にある「自分より優れたる点を持ちたる誰か、それにより気づかされた自分の足りない点」という二つの根っこの部分なのではないでしょうか。そこからどういう芽が出るか、世間体を気にする人や純朴な人は嫉妬を表ざたにせずただ努力しますが、手塚はその個性として嫉妬も努力も覆い隠さず存分になした、そういう話ではないかと思います。
なんとなれば、自分を高めるために誰かを嫉妬しろというのではなく、自分を高めるために他人の優れた点をよく見てそれにより足りない部分を知りなさい、そうしてそれを得るよう努力しなさい、ということができようかと思われます。そしてそれはモノではなく性質や能力におけるお話になるのです。

頂戴したコメントに対しどう返すのが一番よいか、確かによく嫉妬は努力の原動力になるといわれているけれどもどうも違うような気がする、ではその違う点とは何か、としばらく考え、このようなレスをいたしました。非常に勉強になるコメント、ありがとうございました!

では
ネコタ斑猫 拝

なるほど。
うちの子も似たようなことはやるけど、参考にさせてもらいます。
もう少し大きくなると、その嫉妬や妬みを「足りない部分を自分で補う」原動力にできるかもしれませんね。
手塚がすごい嫉妬深くて執念深い男だったとかいう話の類は、ごろごろしてますし。
嫉妬の力を、相手を落とすほうじゃなく、自分を高めるほうに発現させるには何が必要なのかな。
プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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