長いものには巻かれるの?

先日書いた同じ事を男子がやったら大問題になるだろ? なのになんで女子だからって不問なわけ? これって明らかな逆差別だよな?についてたくさんのはてブを頂戴しブログやニュースサイトさんで紹介していただきコメントも頂戴し本当にありがとうございました。息子にも「お前の問題をブログに書いたらたくさんの人が共有していろいろ考えてくだすったよ、お母さんは女の子しかいない小学校にいたから知らなかったけれどもこれは結構昔からあってみんな困っていた問題だったみたいだよ」と伝えましたら彼奴も思うところがあったようです。
さて。
ほんとうに色々のはてブコメント頂戴しまして、もちろんその中には肯定的なのも否定的なのもあったんですが、中でも気になる傾向のものがありました。

それは
「こういう風潮は当たり前のことなんだから、将来に向けて慣れておいたほうがよい」
というもの。

これを「長いものには巻かれろ論」と解釈した上で、以下の文章を書かせていただきます。

長いものには巻かれろというのはとても有効な処世術です。実際自分も存分に使っております。なんでもかんでも鼻っ柱強く反応していてはうまくいくものもうまくいかなくなる。腑に落ちなくともその場を納めてやわらかく生きてゆくには欠かせません。

なんですが、同じ長いものに巻かれるにしても
どうして長いのかたずねてみる
どうして巻かれなくてはならないのかたずねてみる
巻かれないですまないか聞いてみる
巻き方がきついと訴えてみる
などを行うことは可能なわけです。

これは別に反抗してるんでなくただわけが知りたくて尋ねているわけだからそう角は立たないと思います。で、重要なのはそうやって疑問を呈してみることではないかと思うのです。さらにいうなら覚えた疑問をつぶさない、無視しない、ひいてはそういう感受性を殺さない、そのあたりが大切だと思うのです。自分の覚えた疑問を無視するようなことををまだ小学校四年生の子どもに強いたくはないのです。お前がそれを感じたことを偽ってはいけないよ、確かに学校の女子はひいきされているよ、お母さんもおかしいと思うよ、だからお母さんは先生にいつか聞いてみるよ、そうやって、子どもの覚えた疑問を生かしたいのです。
それが当たり前と済ませるのは簡単だけれどもあんまりさせたくないなぁ、というのが今のところの本心です。
で、上記の疑問を穏便に呈してゆくと、たぶんその「長いもの」に対する理解も深まってゆくわけです。それがなぜ長いのか、なぜ巻かれなくてはいけないのか、ほかの方法はあるのか、そうやって対話の中でこちらの理解は深まるし先方もそういえばどうしてだろうと考えてくれるかも知らん。なんとなく慣習的に容れられてきた不都合や不合理を考え直すきっかけになるかも知れません。
あくまでも穏やかに、激高することなく、淡々と、疑問を呈する。
そこから対話に持ち込めればいずれにせよよい結果になると思うのです。納得できるかも知れないし、できないかも知れない、長いものはそのままかも知れないし、巻かれないですむかも知れない。いずれにしてもその問題の輪郭のようなもの、なりたちのようなものを考える材料は増えます。どうせそういうもんなんだ、と端から諦めてしまうより、よほど前向きです。
まぁ、そういうわけで、皆さんおっしゃるとおり
「こういう風潮は当たり前のことなんだから、将来に向けて慣れておいたほうがよい」
というのはあるのかも知れないんですけれども、実のところどうも慣らしてしまうというのは気が向かない。むしろ、問題を共有し、共に考え、疑問を殺さず、穏やかに働きかける姿をお母さんが見せることで、子どもの側も、自分の感受性をそのままに、穏やかに問題の理解ともしできるなら解決とにつながる道を選ぶようになればいいなぁと、思っておるわけです。

こうやってブログに記事をあげて、それをみなが共有してくれたよ、一緒に考えてくれたんだよ、と聞かせたのも、自分の覚えた疑問を殺さず、間違っているかも知れなくとも誰かと共有してみよう、そういうことを教えたかったからでもあります。
ひぐらしの竜騎士さんの製作日記に、ひぐらしというゲームのテーマは
「ひとりで悩みこんで殺人しかないと考え至るのは、惨劇(バッドエンド)の近道である。」
「ひとりで悩んだら、身近な人(友人・家族)に相談しよう! 」
というものだった、とありました。
自分はひぐらしやったことないんですが、ああ、そういうメッセージがあったんだな、すごいゲームだったんだなぁ、と思いました。

で、身近な人だけでなく、ウェブも、大切な相談の場所なわけで。
身近な人に相談できないとき、身近な人で足りないときには、ウェブという手もあるよ、そういうところも教えておきたかった。
ウェブの向こうにいるのは生身の人間だから、もしその人の琴線に触れれば、問題を共有してくれるかもしれない。まさにそういうことが今回起こったわけで、それに対して頂戴するコメントがどうであっても、傍から見た自分というものを考えるきっかけになるわけで、進む際の軌道修正につながるからやはりありがたいものであるわけです。

生きていて何か問題にぶつかったら、まずは誰かと問題を共有したらいい。
今回の件では子どもの友達にもお母さん友達にも職場の同僚にも聞きまくって見解を求めた。
で、ブログに上げたら、もっと色々な立場の人が、それぞれの立場から見解を寄せてくだすった。
そうやって色々な見解を頂戴して、お母さんなりに整理して、やっぱり個人面談のときにそのことについて尋ねてみることにするよ、と、そういう風に子どもと話し合いながら一緒に問題を考えてゆこうと思っているのです。

あと、子どもが女の子にたんこぶ作った件ですが、女子にコンパスを壊されたことは先生もご存知だったらしく、そのあたりで両成敗というかどっちも悪いということになったと判断し、あえて謝罪の電話はしないという選択を取らせていただきました。
これまでは、謝罪の必要があるほど一方的に悪い場合、担任の先生は常に電話をかけて知らせてくだすっていました。
電話がないということは、その必要がないと先生がご判断なさったのだと考えております。
女の子のお母さんには、土曜参観あたりでお会いすることができたら謝っておこうと思います。

では、たくさんの方に問題を共有していただきましたこと、本当にありがとうございました。

ネコタ斑猫 拝
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  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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