絶対にネタにされると思った。
「ドラえもん」のび太たちがストリート系にゲゲゲの鬼太郎(ねこ娘限定だが)が現代風になっても腹が立たないのにドラえもんがストリート系になると
「何かが違う」
と思ってしまうのは何故だろう。
同じく国民的長寿マンガ「サザエさん」で考えてみる。
サザエさんは新聞に連載されていたもんで時事ネタとしてツイッギーファッションやミニスカアッパッパなどをときに応じて導入していた。
んが、それはあくまでも時事ネタであって、基本的なファッションは十年一日のごとく変わらない。
彼らは服装込みで記号なんである。
ドラえもんはFF先生の「SF(すこし・不思議 なんだかこの場合のSFは全角で表記するのがふさわしいような気がする)を表現するための世界であって、新聞連載より更に位相の違う独特の世界である。
それは確かに現実世界をベースにしながら時の流れから解放されている不可思議な世界であり、時事ネタやトレンドに左右される必要のないSF的表現のために仮に構築された世界である。
そこにいるのび太たちは(精神的・身体的双方の意味で)成長することもなくドラえもんの出してくるSF的道具やそれによって引き起こされるSF的事件にさして違和感なく対峙し、日常的にやりすごす。
なぜなら彼らもまた現実世界に生きる人間ではなく、FF先生のSF世界的人間だからだ。
だから彼らはサザエさんとは異なり服装込みの記号ですらない。サザエさんでの記号的服装は時事ネタを導入するためのベースであるが、ドラえもんにおいては時事ネタとしてのファッションの導入すら必要としないのである。彼らは服を着替えるが、その服装のバリエーションが偏っているのは既に様々なところで考察されている。では何故彼らは着替えるのか。それは彼らが生活しているということを示すためだけであり、彼らのいるSF世界が現実世界に通底する生活上のルールに拠っていることを読み手に印象付けるためだけの所為なのである。
つまり、ドラえもんのキャラクターにストリート系を導入するなどという所為は
FF先生のSF世界を内的に決壊させる行為に他ならないのである。
ドラえもんは現実の物語ではない。SFなのだ。
それをわからないものがドラえもんを作ってはならない。えーと、んで、ネコ娘なんですが。
かわいいからありとかそういうんだと殴られそうなんで一生懸命考えてみたんですが。
やっぱりドラえもんはFF先生のSF世界がベースなのに対し、鬼太郎は現実世界を舞台にしている、という論で解決できると思う。
鬼太郎はあくまで現実世界に潜む妖怪や半妖や幽霊族を描いている。だから地上げ屋を取り上げようがネコ娘がアイマスはたまたキャンギャルファッションになろうが別になんてこたぁない。
アニメじゃなくて水木御大ご自身がそういうのを描いたとしても、それについて吃驚したり喜んだりしている自分を想像はできるが、違和感は覚えない。
でもドラえもんはSFなのだ。FF先生が仮想的に構築したSF世界で語られる物語なのだ。
だから彼らの服装はあのように描かれなくてはならなかったのだ。
今はない土管のある空き地も、のび太とスネオとジャイアンと出来杉としずかちゃんが同級生であることも、全てはそこに理由がある。
現実的ではないなどという論は、そこにおいて意味を持たないのである。
駄文にゅうすさま、記事の紹介ありがとうございました。
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