母子ツンデレ。

30代お一人様の女子に子どもがいることを話すと大抵うらやましがられる。
たといそれが
「どうして胸に湿布貼ってるんですか? 」
「子どもに殴られて胸骨骨折したんですよー」
というような内容でもだ。
いや、そのシチュエーションはぜんぜんうらやましくねーだろと思う。
なぜそんなにうらやましがるのか。
としみじみ不思議に思い、
「今現在子どもがいてうれしいシチュエーション」
について考えてみた。

特に思いつかなかった。

ので、
作ってみることにした。

布団入って
「あーIちゃんが来ないと死んでしまうー」
(連呼。前よくやってたやつがお布団に入ってこないと死んでしまうごっこである)

ちなみにやつは今日掃除しろだの台所手伝えだの
さらに言えば朝私が9時に買い物に出るときにあれこれ用事をいいつけていたにもかかわらず
12時まで寝ていたのを叱り飛ばして起こしたせいで終始期限最悪
なれど一方で私が鎌倉は鎌万まぐろ祭りで買ってきた本まぐろてんこ刺し盛り980円
をちら見せしたせいで
心がふわふわしているはずである。

果たして連呼二回目でやつはあらわれた!

さらに、
スムゥーズに布団に入ってきた!
(微妙な距離感で! しかしお母さん腕枕で! )

「お、ほんとにきた! 」
(驚いた風に言うが先方無言。なのでいかにもなんでもないように)
「そういえばさー今日鎌倉まで行ってお前の好きなマグロ買ってきたのに
「お前が勝手に買ってきたんじゃねーか! 」って切れた人いたよなー! 」
「え? そんな人いないよ? 」(目を合わせずに)
「いや、いたと思うんだけどなー。お母さんが買ってきた荷物下から取ってきてくれっていったときに
キレキレに切れてたやつが」
「いや、いないって。気のせいだって。」
「…お母さんの空耳か? 」
「うん! 空耳だよ! 」
「じゃーお母さんはまた鎌倉でお刺身買ってきてもいいんだな? 」
「…いいんじゃない? 」

んで盛り合わせ見せて
「お前好きなの取りなさい、お母さん残り食べるから」
つったら
「僕どれくらいとったらいいかわかんないからお母さんから取って」
「…それはいくらでも食べられるということか? 」
「うん」

というわけでシェアしたのをしみじみ食べてる。

まーこういう楽しみは子どもいてこそかもしんねーなー。
と、ちょっと思った。 

というわけで、鎌倉は鎌万水産は毎月25日にまぐろ祭りやっててお勧めですぜ!
(今月は台風で今日になってた)
それ以外んときもヒラメタイ含む刺身盛り合わせが5種類5枚ずつで980円だったりしてすげぇですぜ!
肉の大成、鎌倉市農協連即売所(通称:レンバイ)とこちらおさえとけば鎌倉方面での飯の種には事欠きませんぜ!
では!
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ヌルフフフ

責任感じとるらしく皿洗いしてくれとるマイサンに燃え~。

キルラキル第三話を一言で言うと

「全ケツと半ケツの闘い」だと思うんだ。

見るべし! キルラキル!

なんか知らない間に敬愛する個人ニュースサイトである駄文にゅうすさまのリンク集にこのブログが追加されてたぁぁぁぁぁ

キタ━━━ヽ(゚∀゚)ノ━( ゚∀)ノ━(  ゚)ノ━ヽ(  )ノ━ヽ(゚  )━ヽ(∀゚ )ノ━ヽ(゚∀゚)ノ ━━━!!!!

駄文にゅうすさま、ほんといつも記事の紹介ありがとございまっす!

自分のエロブックマークのフォルダ名が

だいしゅきホールドなのは自分でもどうなのかと正直思う。

貧乳について、僕が話そう。-貧乳好きは嘘つきであるのか?-

僕はAカップのブラで隙間ができるレベルの貧乳だ。カップでいやぁAAA、これが株式の評価であれば大変すばらしいのだが実際には乳の評価でありそれはほぼへんぺーということだ。巨乳ハンターのまさ子さんと乳を並べる貧乳だ。一方で僕はあらゆる乳の探究家でもある。そんな僕が「貧乳好きは嘘つきである」というはてな匿名ダイアリーを拝読した。なかなか面白いので、長年重度の貧乳をわずらい、にもかかわらず恋愛し乳をめでられること数知れず、今も貧乳を気にしない男性陣にモテモテのいやみの権化のような私が考察してみようと思う。
(いやちょっとうそこきました。数知れなくはおりませんな。あとモテモテといってもいざことに及ぶとどうなるかわかりませんな。とはいえあまり評判が芳しくなかったのは巨乳の女性としっぽりした仲になったときくらいだったのでまぁリアル体験についてはそんな程度の認識でお願いいたします。)

さて。

件の文章を転載させていただき、緻密に検討してみよう。


「貧乳好きという存在が僕は理解できないでいた。進化心理学から考えれば、おっぱいが大きく、おしりがおおきい女性の方が母体として優秀である。」
不勉強ゆえ推察するしかないが、ここでいう進化心理学とはデズモント・モリスの論をさしているとと思われる。ただ、モリスの論では豊満なおっぱいはおしりのダミーであり繁殖可能であるという状態の顕示に過ぎないとされている。ちなみに受胎のしやすさは乳関係なくウェストとヒップの比率にあることは周知のとおりだ。なので、母体としての優秀性を論じるなら、おしりの大きさ(もっといえば骨盤の大きさ)から論じるべきであるとは思う。なお、経産婦としての実体験であるが、意外なことに、貧乳でも乳腺と骨盤さえ発達しておれば十分に母体としての用を足すことができるのだ。さらに、巨乳過ぎると脂肪に圧迫され乳腺が開きづらいらしい。

「したがって、男性はおっぱいの大きい女性にひかれるのが当然のはずだ。しかし、なぜか貧乳好きは母体として劣る女性を好むという。謎である。」
ここの「当然」がわなである。上記で論じたように、おっぱいの大きさは必ずしも生殖能力に比例するものではない。むしろここまでシビアな現状をかんがみると、卵子そのもののイキのよさや卵子と精子の相性なぞを論ずべきであると思う。
繰り返し言うが、乳腺さえ十全に発達しておれば、授乳には問題ない。事実、AAAの私は二人の子供を母乳だけで育て上げた。いったいこんな貧相な乳にどんな底力が? と思われるであろう。しかしながらたとえば国立科学博物館で原始の日本人を見てみるといい。その乳房はかーなーりー貧相だ。にしても私よりもあるのは絶望を導くが。
つまり、
授乳能力と乳のでかさはまったく別
ということを書き手にはよく認識していただきたい。

「Aカップのおっぱいなど、板に干し乳首を並べたようで見るからに貧相だ。とてもじゃないが性欲を催せない。」
おっしゃるとおりである。私も以前乳首を干し葡萄といわれて泣いた。ちなみに干し葡萄化するのは二人目授乳以降の話である。仕事をやり遂げた乳である。元来の乳は結構かわいいぞ。そこは書き手のより深い観察を求めたい。

「にもかかわらず、貧乳好きは「ひんぬーがいい」という。これはおかしい。」
ここで論は転回する。結局書き手は、
・生殖能力が劣る(と誤認している)から貧乳ダメダシなのか
・いたちじゃねぇけど「まないたに干し葡萄」という見た目の駄目さによって貧乳ダメダシなのか
一緒くたにしてしまっている。これは論として崩落しかけている。

「ひんぬーが好きという友人に「たとえば、どんなのがいいの?」と聞いた。友人はスマートフォンを取り出し、画像を検索した後、「こういうのがいい」と画像を見せてくれた。

そこには、ブロンドの天使のような貧乳の女性がいた。確かに、美しい。

しかし、僕はふと思ったのだ。「これは美人だから貧乳でも許せるのではないか。美人ならなんだって許せる。佐々木希についているチンコならば舐められるのではないか」と。」

これは正しい。美人なれば貧乳でも許せる。佐々木希についてるチンコであればなめられる。ちょっとこう細身のね、ややむけかかったのがですね、「事に臨まんと欲した時 乙女の一部位が男子と化す!」ばりに組み敷いた希ちゃんの股間からひそやかに伸び上がってきていたらですね、そらあもうそんなもんあらゆる規定を吹っ飛ばして責めまくりますよ。希ちゃんの羞恥ごとほおばりますよ。何もかも受け入れますよ。だって希ちゃんだから。

ね。

ここで納得したでしょ。

つまり、「貧乳だから」じゃないんですよ。
たった一人、この世にいる、特定の誰かだから、なんですよ。

「僕、訪ねて曰く。「では、ブスの場合はどうか。ブスが干し乳首のような貧乳だったとき、それでも好きといえるだろうか?いや、いえない」

友、答えて曰く。「……」

僕、曰く。「それは貧乳が好きなのではなく、貧乳の「美人」が好きなのである。貧乳そのものを愛せなければ、貧乳好きとは言えない。では、ブスの巨乳とブスの貧乳、どちらが良いか?」

友、答えて曰く。「どちらもふさわしくないだろう」

僕、曰く。「では、ブスの貧乳とブスの巨乳を両方、ぶつけてみたら、どちらが勝つか」

彼は答えられなかった。これが矛盾の語源である。」

中国の故事っぽくまとめてるこのあたりは多分書き手さんもめんどくさくなってたんでしょうが、結局ここでもいえるのは、美人云々ではなく
「貧乳であったとしても、たった一人、この世にいる、特定の誰か」
への愛着ではないかと思います。

醜女美人の閾値も人によってままあるものです。貧乳の閾値もまたしかり。そのあたりで下記あとがき問題もほぼ解決します。

「要するにさ、貧乳好きは「貧乳の美人」「貧乳の少女」が好きなだけで、貧乳の成人ブスが好きなわけではないよね。だから、貧乳好きとはいえない。巨乳のブスには需要があっても、貧乳のブスが好きって男はまずいない。男が「この子はおっぱいが大きいから好き」と惹かれるように、「貧乳」というだけで惹かれる男性はこの世に存在するのだろうか、いや存在しない。

ちなみに、男のいう「ほどほどの美乳がいい」という場合の「ほどほど」はCカップ後半〜Dカップが想定されている。本当の意味での貧乳を純粋に愛する男性はいないんじゃないか。「貧乳」自体に需要は存在しない。


そんなことを、自分の粗チンをねぶりながら、ふと、考えた。」

さりげなく終盤でちびっこちんこの割にはセルフフェラだってできるんだよーんという自身のすさまじき柔軟性を誇示してくるあたりがすごいと思うのですが、まぁあれです、この議論には全体個体という視点が欠落している。人は人を属性のみで愛するわけではない。だから属性前面に押し出した「何々だから好き」よりも属性を減点した「何々だけど好き」のほうが圧倒的に多い。何しろ世界には完璧超人は大層少のうございますからな。

というわけで、本記事で申し上げたかったことは

1 生殖能力は乳のみでは測れん むしろ骨盤を見よ!
2 人が好きになる要因はパーツや属性のみではない 総合判断を見誤ると却って駄目物件に生涯悩まされる羽目になるぞ!

の二点です。

あとですね。

これは純然たる蛇足なんですが、
巨乳はね、大変ですよ。
年経ると。
若いころはキャッチーですよ。僕も正直大好きです。個人的にすきなのはCあたりのちょっと奥ゆかしい感じの適乳。手にちょうど収まるタイプ。
でもそれ以上になると
天然ものなら仰向けになれば横に流れるわ
年経れば重力に負けてどんどんたれるわ
あれですよ、自分の知り合いの先輩ですげー巨乳さまがおったんですが
40過ぎたあたりからカップつきキャミソールつけててもいつのまにか乳がカップの下に落ちてヨツメウオみたいになってたみたいな体験談聞いちゃったりしましたからね。
あとなんかもう一人職場の巨乳さまによるとバックでやるとアメリカンクラッカーみたいに乳がパンパンぶつかるらしいですからね。
さらにいうと水木しげる先生描くとこのやまんばなんか、背中にしょった赤子に乳やるのにたれきったぬか袋みてーな乳をクロスで肩にかけてますからね。
うん、まぁ、小さくとも大きくともいろいろあるわけです。

そして貧乳にはそのような悩みがない。
垂れるといってもへそまでいくようなことにはならない。
ブラジャーに丸めて収めねばならないようなことにもならない。
また、現在発達しまくったすんばらしき寄せてあげてさらに底上げするようなものを用立てさえしなければ、正直爺さんならぬ正直貧乳ということで、いとしい人に剥かれた際にも虚偽誇大でジャロに通報されることもないと推察されます。

だから、もちろん書き手の方のご趣味は尊重したいながら、
唯一申し上げ修正をお願いしたいのは、
「貧乳は生殖能力が劣っている」
という一点のみでございます。

なお自分は重度の祖チンの方と手合わせしたことはないのですが、貧乳がそうであるように、精子を生産する能力さえ十全であれば、たといものが小さくとも、生殖能力が劣っていると判断することはできないと思いますよ。
あなたの体全部を使ってあなたの彼女を気持ちよくしてあげられれば、それで、おにゃのこは満足します。

ちなみにじぶんのひんそーなちちでこれまでの相手が満足していたかはわかりません。
んが、ちちという属性のパラメーターが大変低くても、それ以外の点で努力した結果、心地よさを共有できていると確信しております。

以上、僕のブログで拍手コメントくださった愛読者さんに送ります。
何かまた悩み事があったらお伝えください。
僕なりですが、お返事いたします。
ただしその際はもれなくブログで野ざらしになることご承知ください。
あなたが悩んでいることは多分多くの方も悩んでおられること。
なれば僕はあなたごとその人たちにも届けたいのです。

イジョー!



おまけ
僕にとっての至高の貧乳。すべての乳好きはこの美しい貧乳にひれ伏せ! 岸田メル先生ハラショー!



駄文にゅうすさま、記事の紹介ありがとうございました!

俺氏、胸骨を骨折する。あるいは、「女に手を上げるなんてサイテー」という命題は妥当か?」という問題について

はじめの一歩を見た直後だったからというのも多分悪かったのだと思う。
きっかけは、ささやかな、ほんとうにささやかな、そろそろ部屋を片付けたらどうかみたいな話。
前々日から何時からやると決めていた。それが突然翌日にしたという。
いやそれはいけませんよ、約束は履行しましょうよ。

「うるっせーまた殴られたいのか」
「殴ればお前がおとなしくなるってのはおにいちゃんのときに学習してるからな」

先々週の痣も消えていないなか
三社面談で諍いの際に子供に殴られたことを告白すると担任が涙ぐみながら「それいじょうひどくならなければならないといいのですが」
とご心配なさっているのを承知しておりながら
俺は言った。
「受けてたつぜ! 」

結果。

胸骨皹。

しかしながらなかなか楽しかった。
今までは「親が子に手を出すなどもっての他」という見知らぬ刷り込みに惑わされてやられっぱなしであったが
「本気でやってみたらどこまでいけるかな? 」と急にチャレンジャーな気分になりこちらも結構パンチを繰り出した。
というような親子チャレンジができて正直此方としては遺恨がなかったこと。あいつもガチでやってみたらどんなものか、そして案外お母さんの体が脆弱なことを再認識できたらしいこと、そんなあたりを踏まえるとなかなかの収穫だ。
その後も奴は相変わらず私がつめると暴力をほのめかしてくるが一方で引きが早くなったこと、さすがに反省してるらしくいろいろ手伝ってくれるようになったこと、何かをするといいだしたときに許してやると「ありがとう」ときちんといえるようになったあたりで、覚悟は却ってよかったんではないかと思う。


私はどうも、「女を殴るのはサイテー」というあまりにも単純で都合のいいものいいになじめない。
その伝でいけばそもそも女のみならず誰を殴るのだってサイテーなんじゃないのか?
一方で人は自分を守るために戦闘民族のような女を殴る必要が生ずることもあろう。(サンジ君除く)
人を殴りたくなんかない、というのが戦闘民族以外のコモンセンスかもしれない。
だが、そんなコモンセンスを共有しておらん人間を相手にしようとするときにまで、規制は行うべきなのか?

「女を殴るのはサイテー」
これはある意味究極の男女逆差別だと思う。
確かに男性の力は強いというのは一般的だが、女もひどいこといったりしたり時には殴ったりするじゃん。
そういうのに対して男が一方的に我慢しなくてはならないという状況はなんだか妙じゃないかね。

なんというか、男が女を殴るのがサイテーなのではなく、
誰であれ誰かを殴るのはサイテーであり、
しかしながら、もし理不尽な暴力を受けたなら、
それに対して応戦する自由は、男女平等に許されているのではないかと。

そんなわけで、うちんちではどうしても、
「女を殴る男なんてサイテー」とはいえない。
かわりに負けるとわかっててもガチで応戦する。
その戦いの中で、ああ、この個体は、残念ながら戦闘には向いていないのだな、弱いな、壊れやすいな、だから、別の方向で交渉したほうがよいのかもしれないな、ということが実感として見えてくれればいいと思う。

あーあと
胸骨に皹の入った生活は
毎日毒の沼を歩いているような気分です。
HP減るのが長早いです。
何からも起き上がるときが一番のダメージです。
重いもん持つと治りかけがまた離れるんじゃないかとぞくぞくします。
子供との関係が結果オーライなんですが、残る痛みだけはばかばかしいですね。
ただ、きっとこれはすべて、家族としてこなしていかなくてはならない仕事なのでしょう。
何より傷を負いながらでもまた笑いあっていけるのだから、私は、なかなかうまくやっているなぁと思いますぜ!

反抗期のクソガキと一時休戦した件について。

今まさに中学二年生、厨二病というもおこがましいマイサン。
このところ荒れて学校にも行かず暴力ふるったりもしよった。
すげー腹立ったんでメガネ外して「殴りたかったら殴れ! 」とやった。
見事な青あざが三個出来た。(顔ではない)
朝布団剥がして風呂場まで連れてったりした。
職場から家に電話を何度もかけたりした。
しかし家庭内は険悪になるばかりであった。

めんどくさくなった。

よーく考えてみたら、十年経って今の頑張りがそのまま通じるなんて保証できねー。
勤勉さ、知能、体力が共通言語である世界が先まで続くとは限らねー。
文明が誕生してからは大体その三点セットで通用してたが、明日世界がひっくり返るかもしんねー。
そもそもこいつの人生はこいつのもんだ。
そして私の人生は私のものだ。
大学受験の時点で学力が私より劣ってたら、「自分の人生には学力は必要ないと判断した」と見なし、学費提供は終了して、私は私のために金遣っちゃってもいいんじゃねーか?

というようなことをもう少し知性的な文章で送った。

さぁて、そういう話がどこまであいつに通じたのかはわからん。

が。

今日はなんとかみんなとの待ち合わせに間に合って学校に行ったという。
夕方は疲れて寝てしまったが、私の帰宅と同時に飛び起きて塾に行った。
塾から帰ると「遅刻したこと先生に叱られた」とつぶやいた。
「勉強は自分のためだと言われたろう」
と問うたら
「うん」
と言った。
更に、「そうだ、お母さん今度数学教えてよ、塾でやったけどわかんないとこあったんだ」と言われた。
いやそれお母さんわかんねぇかも知んないよ? てかそういうことこそ塾の先生に聞きなさいよ! と言ったけど土日でもいいからどうしても教えてほしいというので根負けして了承した。
あいつの好物のグラタンを作って出してやった。
私が再生し始めたキルラキルを見て「それ見た」と言った。
「どうだったよ」と聞いたら「なんかエロっぽくない? 」と言われた。
「終盤のヨーコみたいだよな」と返した。
部屋に戻る前に
「これ、最新号のジャンプ」とジャンプを机に置いていった。

そんなわけで今週号のジャンプ読んでるなう。
あれじゃね? 銀さん金玉とか乳首とかもげすぎじゃね?
あと最近ブリーチ面白くね?
殺せんせーはイリーナと渚ちょっと被ってね?
斉木はダルさと超能力のバランスで読ませるとこが上手くね?
あとやっぱこち亀のキャラの使い勝手の良さは凄くね? 残念とか超懐くね?

やっぱジャンプとグレン軍団はイイヨネ! という話であったのであった。

自転車に

盗難よけのつもりで「立春朝搾り」っつー酒の販促用シール貼ってるんだが、よく考えたらこの言葉って結構エロい気がする。

反抗期の頃お母さんのご飯にケチを付けたことのある人がいたら謝りなさい。

しょうがないから許してあげます(←激おこぷんぷん丸

うちの息子海外留学したいとか言ってるくせに

英語で17点取ってきやがった
駆逐してやるぅぅぅ

腹が立つからお母さんが勉強することにしました。もーいーよてめーには期待しねーよ。いつまでたってもお母さん抜けねぇようにしてやるよ。バーカバーカ。テメーに教育資金かけるよりもっぺんおかーさんが勉強し直した方が世の中のためになるわ。テメーなんざまともな高校入れなかったら実家に放り込んでお母さんが独立してやる。どーせあっこ高等遊民の墓場だからな。ばーちゃんの年金で食いつなげばええんや。こっちは仕事しながら好奇心まみれの生活を送ってくれるわ。あーこないだの深海展も楽しかったなー。やっぱ下勉強で専門書レベルの本読んどいたおかげで大分理解が変わったし。世界はこんなにすげーのに、世界を知るツールはこんなに研ぎ澄まされているのに、お前はまだゲームばかりに留まってるのか。ゲームよりももっとすごい、もっとすばらしいものが、少し手を伸ばせば広がってるのに。
勿体ない。そして、悔しい。
私は、母親として、こんなにも魅力的な世界のことを、こんなにも探索し甲斐のある、こんなにも精密で、こんなにも毎日のように何かが見つけられ続けているこの世界の面白さを、結局、伝えられないままに死ぬのだろうか。

ま、それはそれでいーや。あいつがわかんねーのはあいつの責任だ。あいつももう14だ。ぶっちぎりの厨二病だ。わかんねーこともたくさんあろう、見えねーこともたくさんあろう。もし問題があるとすれば、社会が型にはまりすぎてて得するルートを見ぬけない奴は損をするということにおいてだけだ。
自分は脳内に「謎が解けると面白い」という自力御褒美システムを構築できたから得するルートを見抜けなくてもそれなりの索敵力を得てそれなりにやっている。でも本当に必要なのは、型にはまった社会の中でどのルートを通ると得するかを見抜く力だ。もし両方あれば彼は成功に近づけるだろう。成功とは好きなことに夢中になれるだけの金を稼ぐということだ。どちらもなければ働くことのできない人間になるだろう。自力御褒美システムの構築だけでは自分のような好奇心の化物となりそれほど稼げない。多分、どのルートを通ると得するかを見抜く力を得たものの方が、きっと自分のような象牙の塔の綿埃のような人間よりも、遥かに金を稼げるだろう。

私は好奇心が強すぎる。何でも知りたがってしまう。以前わからなかったことが十年後にわかったらそんなことですら何とも言えない愉びのもとになる。見知らぬものを溢れるほどに見た今回の深海展もまた凄まじい愉びの場だった。実のところ子どもよりそっちのほうに人生におけるたのしみを見出していると思う。子どもが反抗期だからというのではなく、だから自分は多分いくらか人非人だ。

でも、それほどにも私を夢中にさせる、読解力以外に特に技術もいらない、ただ、この、世界を見聞きし知ることによる楽しみ、それを、子どもに伝えられないとしたら。

ああ、でもそれはやはり仕方がない。子どもらにあるのは子どもらの人生だ。そして何より、私は親からこれを受け継がなかった。親は私がなにがしかを問いかけると自分で調べなさいと言った。そして私が長じるとなにがしかを問いかけて来た。貴方なら知っていると思って、と。親は私が時に調べながら答えられたことを教育が良かったからと自慢に思っていたようだが、私はそれは教育の成果ではなく、ただ、欠落の表示の結果だったからと今でも思っている。これは、この探究心は、私のものだ、私だけのものだ。そして、世界の広さをあの頃もっと知っていたら、世界が思いのほか未知であるとあの頃もっと知っていたら、そしてそれを教えてくれる人に巡り合っていたら、もう少しだけでも私は広がっていたのではないかと思う。

だから今私はリベンジをしている。あの頃何も教えてくれなかった親に、あの頃何も教われなかった大人に。世界の面白さを、科学的な知識の確かさを、知の美しさを、それを求める楽しさを。子どもを捕まえて、また、子どもの友達を捕まえて。知らないことは目の前の何でも答えてくれる箱で一緒に調べて教えることで。「何故ならお母さんが知りたいからだ」いつもそうつけくわえながら。

そう、私は知りたい、私は学びたい、私は考えたい、いつか自分の知を有効に使えるところにゆき、それを仕事にしたい。

そのいつかのために、私は、今日、一つずつ、できることをやろう。
プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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