百物語、リンクのないものについて

リンク先のファイルがないものについては、
ちょっとデリケートな理由で削除したものです。

ぶっちゃけますと、お友達の体験などをもとに書かせていただいたはいいがなんかこう、今一つだったような気がして消したものが一編だけあります。
あのころは「もらった体験は全部小説にする! 」といきまいていたもので、そのうち書き直そうなどと思っていたんですが、結局は足せず幾年月。

そんなわけです。

お返事遅くなりました。すんません、
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百物語第四夜其の六 天井

 まあなんというか、敷地を生かし切って実に上手に作られましたなぁといわざるをえないような、それでもかろうじて二階建ての、実に狭小な立ち飲み屋である。
 しかし立ち飲みにおいては狭小という業態ははむしろ大いなるアドバンテージである。そこでは全ての人はパーソナルスペースを放棄させられる。立ち位置も不安定で、詰めてもらったり譲ってもらったり、今割と親密に話していた相手が所用で場を離れた途端それを聞いていた別の客と話が盛り上がり、では先ほどは何処にと思いきや、これまた入ってきたばかりの昔馴染みと話が弾んでいたりするから、一体この場の雰囲気を盛り下げるにはどうしたらいいのか、通夜帰りでもよれば故人の話で少しはしんみりするかと思われたらところがどっこい大往生の喪主は至って気安い男で、ネクタイこそ黒であったものの黒のベレーを洒脱に被り、マフラーは捩じって纏い、外で常連に塩を撒かれた後に乗りこんできて焼酎あたりを何杯か飲んで親父は大正生まれだっただのと常に変わらぬ様子で話をするが拍子抜けでどうにもこうにもこの店の持つ不可解な盤石を思い知らされる愉快なエピソードではある。
 さてその店、二階に小さいおばあさんが住んでいるという噂があった。
 昔の家なら天井裏で鼠の運動会があったという、あれほどではないが、今は客の饗応には使われていない、物置になっている二階にあるトイレへの通路、稀には帰りそびれたマスターの避難所にもなっている、その二階から、異音がするというのである。
 怖いもの知らずが訪ねたとて何に会うわけではない。だが、少しの人数で一階で飲んでいると、確かに、何かを叩くコツコツとしたような音が、上から響いてくることはある。ただそれは大人数の時にはなく、またどうも特定の人物がいるときに限っているように思われて、新しい客が上に御不浄を訪ねるときのからかいのネタになる程度のものだった。
 常連は、ああそういう音がそういやぁ今日はするねぇ、という程度、木の軋みやらつい足が冷凍庫に当たった音やら、そんな程度に軽んじて考えていた。
 あるときまだ成人になったばかりで迷い込んできた青年が、上を借りると行ってきた。靴を脱ぐようにといわれるがまま、きちんと靴を脱ぎ、そんな風に見えないのに履物をきちんと揃え、たんたんと明るい音さして上へ上って行った。一人が面白がって、上には小さいおばあさんが住んでいるんだから会ったらちゃんと挨拶するんだよ、と声をかけた。わかりました、笑いながら若い声が答えた。
 暫時。
 一階の常連は特に意識せぬまま自分たちの話題で盛り上がったり歌を歌ったりして過ごしていた。だがそういやぁあの若いのが帰ってきてないなぁということで少しの懸念が生まれ始めた。
 「寝ているんじゃないかね」
 「ああ、あれで大分酩酊していたようだからね」
 そんなことを言いながらどうも面倒くさがって誰もすぐにはいかない。何故なら彼は一人で来ている客で、まだ親しいといえるほどの飲み友達ができていなかったためである。
 それでマスターが自分の小用のついでに見に行くことにした。
 「大丈夫か」声をかけながら階段を上がる。彼の足が見えた。なんだ寝てるのか、起こさねぇとな、と思いながら上がり切った。
 寝ては居なかった。
 目を開いて、ただじっと天井を見ていた。呆けたように。
 「どうしたの、大丈夫? みんな下で待ってるから降りといで。」
 「いえ…マスター。」
 淡々と言葉を紡ぐ。
 「さっき僕、小さいおばあさんがいるから挨拶をしろといわれたんですけどね」
 「あーあんなの嘘だよ。初めて二階上がるやつには皆いうんだ。でもこんな明かりがついて空調も整備されているところ、ちっとも怖くないだろう? 」
 「いえ」
 若者は目を天井から離さないまま答えた。それでマスターもつい天井に目を遣った。
 すると。

 火熨斗で引き伸ばされたような、やけに目だけが大きい老婆が、天井の一面に貼りついていた。

 このときマスタはーは、血の気が引く、という感覚の真髄を味わったそうだ。
 一方の若いの、酩酊のせいか、若さのせいか、少しも動じるところがない。
「あのう、あのお婆さんが皆さんにいわれた小さいお婆さんだとしてもよいのですが、どうもあれは小さいように見えないのと、この板の間の真ん中あたりに正座なさっていると思ったら天井にいらっしゃるという展開、とりあえず挨拶をしろといわれたからひっくり返っていたのですが、この姿勢からあのご年配の心に叶うご挨拶はどのようにすればよいものでしょうかね。」
 などと淡々と言う。
 マスターは引っ込んでしまった尿意の行方を薄く心配しながら、脳天で覚えるねめつけるような目線をいかに順当に払うかを懸命に考えた。そして結局極めて軽薄な結論にたどり着いた。
 「じゃあ二人して寝転がってあれに手を振るか。」
 
 それが最適解であったのかなぞは誰に判断しうる話でもない。だが確かにその平べったいおばあさんはにたりと笑ったあと右に左に引き伸ばされるような動きしながら最終的に天井の割れ目からつるりと抜けて見えなくなったのである。

 若いのは先だって階段を下りてゆき、「遅かったじゃない」「小さいおばあちゃんにちゃんと挨拶した?」などと問われ、「いやぁあれは小さかなかったですよ」などと答えている。
 マスターは…マスターは階段を下りたものの、どうもあの天井の光景が頭から抜けない。

 (さあ明日から一体小便をどうするか)
 
 どうにも名案の浮かばなさそうな宿題を突き付けられた不運を、マスターは少し持て余した後、いっそ日本酒にと一緒に一気に飲んじまうことにした。
 注いだ水面に例のおばあさんの目玉が映りこんでいたような気がしたが。
 (何、屹度気のせいだ)

                                                            終
 

百物語第四夜其の伍 明日

 その店はあるのだかないのだかよくわからない店だった。
 近所に川がある。その川には最近にしては立派な河原がある。その河原を少し下った橋の下に、ごく小さい店が稀に呆と建つ。目を凝らしてもあるかないか不明瞭な、輪郭の定かでない薄黒い小屋にしか見えぬ店である。勿論看板などない。どんな構造なのか、どこから入るのかすら外からはわからない。そんな不可解、或いは自分以外は認識すらしていないのではないかと思われる店を、仕事のない土曜日の夕刻、散歩の途中に見かけると、私は河原へ降りる道を探してその店を訪ねるのである。
 (ら…しゃいませ…)
 黒い板を打ち付けただけのぐるりからどうして私は中に通じるだろう扉を探せるのか。そしてそれは裏口でもなんでもなく、確かに正当な店への入り口であり、建物の輪郭よりもさらにうすぼんやりした中に私をたどり着かせるのか、わけがわからなかったかそんなことはどうでもいい。私には、誰でもない誰かとして、誰でもない何かに、重い軽いにかかわらず開示しずらい事案をほのめかす場所が必要だったのだ。
 カウンタらしきものがあり、その上には価格表があった。それはところどころ薄汚れていたり消えていたりして、どうにも現役ではなさそうだったが、かろうじて読めた文字に従い、私は注文した。
 「水割りで」
 「…たまわりました…」
 おい天文学者連、あんたらが探しているダークマターとやらは実のところここにあるんじゃないのか、こいつをダイソンあたりで吸引するかジップロックあたりでちょいと密閉したらあんたらの研究の糧になるんじゃないか、そんな具合に不定形で薄黒い燃えさしの何かのような影が対応する。背後の飲み物は古びているが見たことのある酒瓶類で、或いはここは戦後にここに身を寄せていた酒場の亡霊なのではないかと思いを馳せる。
 静かだ。誰もかれも煤の影のようだ。私も他からそのように見えておれば非常に面白いのに。しかし一方で、他は一体自分をそのように認識しうる主体であるのか、そのことを思うと期待はしちゃいかんする気がする。
 私はただ、おそらくこの地域の人間であってもすべての人は認識しきらない、この呑み屋の残留思念のようなものを訪ねて、当時の人々の影とあるようなないような会話を交わす、そのあてどなさ掴みどころのなさが、いっそ諸般に括りつけられているような私を扶けるものだと頼みにしていた。
 
 「3…50円です」
 支払うと、トリスの水割りが出てきた。この時分は冷えるので氷は厳禁だ。といって原液では胃を遣られる。ならば温めればどうかと思われようが、立ちあがる香気は強すぎてちとつらい。消去法の、後ろ向きの、ただの水割りである。
 「女がね、大事にされるようだよ」
 うすぼんやりした黒の影が、珍しく自分から口を開いた。こんな不明瞭な、存在も確かならぬ幻の店の従業員(主人なのかすらわからん、なぜならみな薄黒い影だからだ)に、その基準すら開示されぬまま、ただ、お前は店と何らかの情報を共有するにたる人物であると判定されたようで、知らずその後の私の思考は極彩色まではいかずとも暖かく柔らかい歓喜を帯び始めた。
 「ほう、どんな女がですか」
 「幸せな話だよ。」
 「どう幸せなんですか」

 黒い影は前後も左右もわからぬ黒い影のままだった。私にはその様子が却って好もしかった

 女にあったのは中程度の不幸だった。
 隠し子を作られたのは立派な不幸だった。だが夫の女性関係をそのような方向に駆り立てたのは女の酒乱であった。それは承知していた。酒乱を治すために夫の実家に子どもごと滞在したところ女はアルコールを断つことに成功し、見守っていた夫の両親が夫に関係の再建を迫った。
 すると夫は、自分にはすでに別の女と子どもがおり、二度と女とは添えないということを、明白に告げた。

 女は己の病状について十全に理解しており、それゆえに関係の継続をあきらめた。ただ、夫の両親に対する夫自身の不誠実については、咎めるべきだと思っていた。といっても立場上ままなるものではない。女は夫の両親のその後も続く誠実をいっそ空虚なもののように覚えながら、日常が戻ってくるのを待った。

 それがまだ顔も見たことのない女の人生の中段である。

 それから女は仕事を始めた、自身の実家に助けてもらいながら子を養った。子育ては下手ではあったが国の整備してくれたシステムと親、友人のおかげで、子どもらは人生の課題を女の知らぬところで着々と課題をこなしながら育って行った。

 ふいに黒い影は私に向き直った…意志を発する方向がこちらに向いたというほどのことだけであるが。

 あなたはこれからその女に会うだろう。この面倒な女に。だがあなたはその女をあたかも掌中の珠のように愛でるであろう。ねぶり、なぶり、くじり、いじり、そのことをお前は心から楽しむだろう。その見目を愛おしみ、声を愛おしみ、その喉から発される旋律を愛おしみ、知性を愛おしみ、末永く手元に置いておきたいと思うだろう。

 それがお前が明日会う愛玩物だ。

 もう一杯頼もうとした。だが、見上げたとき、すでに酒棚もメニューも黒くくすんで、どうしたって次は頼めないような具合だった。

 「ごちそうさまでした。」
 
 私はやむなくそこを辞した。最後まで店には他にも誰かまたは何かが居るようででそれなのにどれもよくわからなかった。

 私は、明日から逃げ出したくなった。

 それで私は、特段の用もないのに、河原の臨める喫茶店に陣取って、好きでもないコーヒーを啜りながら、あの薄黒い小屋が今ひとたび出現するのを、今か今かと待ち望んでいるのだ。

百物語第百夜其之百 あなたへ、あるいはいつかの私へ

とりあえず、生きてます。

百物語第零夜其之零 あなたへ、あるいはいつかの私へ

あなたはいじめられています。
己の子どもと親にです。
あなたは子どもに殴られています。
壁を殴って脅されています。
髪を掴まれ引き回されています。
物を隠し壊されています。
それは我慢しなくてはいけない思春期の一過性の暴力行為ではありません。
ただのいじめです。
そもそも相手が思春期だからといって何故あなたは子どもからの暴力を我慢しなくてはならないのですか。
暴力は暴力です。
あなたは逃げなくてはいけません。
いじめからは逃げていいのです。

親に訴えて、子どもは思春期なのだから我慢しなさいと言われたなら、
あなたの親もいじめに加担していると考えてください。
自分の子どもが殴られて訴えて助けを乞うているにも関わらず
まずその子どもを保護せず孫を庇うならば
親はいじめに加担しています。
見切ってください。
その人達はあなたの親ですが、あなたを保護してくれる人ではありません。
そして、暴力を振るって自分を通そうとする子どもたちは、
あなたが保護すべき対象ではありません。
警察がなんといおうと、
親がなんといおうと、
子どもがなんといおうと、
あなたは加害されており、保護されなくてはいけません。
そうして、保護してくれる人が誰もいないなら、
助けを求めて手を伸ばした先のその人があなたの手に刃を突き立てるなら、
あなたがあなたを保護してください。
または、死んでしまってください。
あなたを保護している人たちは見かけ上嘆き悲しむでしょうが、
あなたは、苛められていました。
気のせいではありません。
あなたは加害されていました。
あなたは被害者でした。
あなたの自傷は正当です。
あなたが置かれている状況は異常です。
あなたは逃げていいのです。
学校のいじめであれば不登校という術がありますが、
子どもと親からのいじめからは逃げる術がありません。
ならば

(あの世に逃げて、何が悪い)

お蔵出し 百物語第一夜其の六十七 おっぱいがいっぱい

 おっぱい。
 何と素敵な響きであろうか。
 人には堂々と明かせないのだが、わたしはおっぱいが大好きなのだ。わかるだろう? 水代君。おっぱい、おっぱい。ああなんと素晴らしいその響き。あのまろく充実した温かい膨らみそのままではないか。おっぱい。その言葉は即ち幸いだ。心に仄かな甘さと満足とをもたらしてくれる素晴らしいあれ、あの美しい受容と惜しみの無い抱擁のような、そう、それは乳房などとあぢきなく呼ばれるべきではない、おっぱい、とにかくおっぱいなのだ。母性の象徴などというつまらないものではない、育児のための器官などというああそんな不躾な風にそれを見なしてはならない! おっぱいはおっぱいなのだ。それが全てであり、それだけなのだ。
 断っておくがわたしはおっぱいが好きなのであって、おっぱいのついた女体に関心が在るわけではない。むしろ女体は邪魔だ。私にとっては女体ではなくおっぱいなのだ。まろい、優しいお椀状の、神々しく、柔らかく、そのくせしなやかな弾力のある、永遠なるおっぱい。女体抜きでおっぱいを愛でることができればどんなにいいだろう。
 長い間、わたしはそう思い続けてきたのだ。
 
 それでだな水代君、何を隠そう私はおっぱいを所有しているのだ。純然たる、単品のおっぱいだ。女体抜きのやつだ。いやいや猟奇ではない。殺人でもない。摘出でもない。ほら見たまえ、このお茶缶の中に生えているのだ。
 そう、おっぱいを驚かさないように、ゆっくり開けてくれたまえ。
 底に白いおっぱいが休んでいるだろう。そう、これが私のおっぱいだ。触ってみたまえ、そうっとな。乳首はダメだぞ、敏感だからおっぱいが驚いてしまう。そら温かいだろう。周りに青い血管も透いているだろう。いかにも愛らしいおっぱいだがこれで乳首の周りに毛がはえたりするから私が手入れしてやっているのだ。おっとこんなことを明かしたらおっぱいが恥ずかしがるだろうか。
 どうやって手に入れたかって?
 君江の島を知っているかね。若者向けの歌手なんかが歌っているようなあれだ。夏にはいかにも人気そうだが最近ではそうでもないのだ実際のところ。ともかく若向けの夏のイメージで売っているところだ。あすこには江の島神社がある。江の島神社といえば君、裸弁天だ。若い頃のわたしはあの弁天様に恋をしたのだ。もちろんおっぱいだ。
 あのおっぱいは比するところのないおっぱいだ。なんというか、私の理想のおっぱいだったのだ。白くて、まろくて、美しくて、いかにも充実していて君みたことないなら一度は見ておかねばならないぞ。実際初めてだったのだ。女体込みでおっぱいに魅力を覚えたのは。これまでわたしは様々なおっぱいを見物してきたのだがどんなに素晴らしく理想的なおっぱいであってもそれが肋骨のある背骨のある四肢のある頭のある目玉のある侮蔑のある女体についている限りたちまち具合悪くなってしまったものだった。それが初めてだ、あの裸弁天を見た途端、私はおっぱい込みの全てを女体の女神の全体を受け入れる気持ちになったのだ。私にとってあの裸弁天はおっぱいの化身だった。純然たる理想のおっぱいにふさわしい肉と体と骨格とそうして面相がついて裸弁天になったそのようなものだった。私は余りに恋して眩暈して熱を出した、熱を上げるというのが比喩でないことを生まれて初めて実感したのだよ君。そうしてもう帰るのが嫌になってしまって、弁天堂の側で一夜を過ごしたのだ。そうしてそのまま一週間を過ごしてしまった。ただおっぱいがおっぱいのついた裸弁天が弁天様がこの女神が愛しくて恋しくて慕わしくて情熱が溢れて仕方なくてそこに居続けてしまったのだ。そうしたら君一週間した明け方私が草を枕にうとうとしていると東の空がいつになく早く明るくなり弁天堂から妙なる音楽と妙なる香りが聞こえてきたのだ。私が不審に思いながら起き上がるとそこに弁天様がおいでだった。いや弁天堂のいつもの場所に座っておいでだったのだがその前の木の造作がすっかり透けてお姿が綺麗に見えていたのだな。そうして弁天様は私に向かってこんなことをおっしゃった。曰く、私の慕う気持ちが余りに強いので私の心が動きました、それほど乳房を好むならあなたに私の乳房を授けましょう、と。わたしはいたたまれずに、おっぱいです、乳房ではなく、おっぱいです、と叫んだ。私にとっては弁天様は断じて乳房の化身ではなく、おっぱい、おっぱいの化身だったからだ。弁天様は少し頬を赤らめると、おっぱい、と小さくおっしゃった。ああそれが私の生涯で一番の至福の時だった。そうして弁天様は微笑むと立ち上がり、私をその肌に抱き寄せてくださったのだ! 思ったとおりのおっぱいだった、滑らかで、匂やかで、甘いにおいがして、優しく充実して柔らかく、重力になどついぞ負けそうにない、わが理想のおっぱい!
 陶然となっているうちにあたりは明るくなった。もう弁天堂はもとにもどっていた。見回す私の目の前にこのお茶缶があった。導かれるように蓋を開けると、
 其の中におっぱいが静かに恥らうように住んでいたのだ。
 以来わたしはこのおっぱいと添うているのだ。他に何も必要ないというこの心持は、君ならわかるだろう。他の誰ともこのような思いを共有できるとは思わなんだ。だがおっぱい! 君に出会いこうして私の長年の秘密の嗜好を語り合うことが出来て本当に嬉しいのだよ。

 一息に喋り終えて、老人は世にも満足なため息をついた。
 水代は茶缶の中に目を落としたまま微塵も動かなかった。
 水代は思った。私はこの老人が、田沢老人が妬ましい。こんなコンパクトで実用的なおっぱいを所有しているだなんて! 
 だが断っておく。私はおっぱいフェチではない。むしろ母乳フェチである。
 私には年の離れた弟が居た。弟が母のおっぱいを飲む光景をいつも見ていた。ふくふくとふくらんだ乳房と乳輪は大きく、それは少し私を恐れさせた。だがそんなおそれよりも、至福を飲み干しているといいたげな弟が妬ましかった。わたしは時々母の肩をもんでやるふりをして背中に回りこぼれるような乳房と頬満たしてしゃぶりつく弟の顔とを交互に眺めた。母の乳の出は非常によく時折弟はむせて咳き込んだ。そんなとき弟は口を離し、あらわになった乳首から幾筋かの母乳が吹き上がりしぶきのように弟の顔に降りかかる。その眺めは私を圧倒した。羨ましかった。私も母の乳房に口を付けて乳を飲みたかった。赤ちゃんじゃなければ美味しいものじゃないわよ、母は羨ましそうな私を笑って窘めた。だが私には、それは甘露やマナに匹敵する此の世ならぬ素晴らしい風味のものであるという無闇な信仰を打ち消すことができなかった。
 わたしは田沢老人のような純正の変態ではないので、ちゃんと結婚もした。まぁ白状すると半分くらいは母乳目当ての結婚だ。私は道徳的な心性なので母乳のために女を買うなどという浅ましい真似はしたくなかった。それで結婚し、愛し、子供を授かったところで心から愛しんで妻を抱くことにしたのだ。
 おっぱいの出がよくないのよ、と言われて、私は喜んで吸ったものだ。甲斐あって乳は少しずつ出始めた。舌先にうす甘い液体が滲む。血のような、鉄臭さもあった。乳は血から作られるのだという。これが赤子を一年余り育む命の液体なのか、私は満たされていた。
 それから何度も、私は妻を愛した。産後すぐは痛むというので、私は暫く指と唇とで妻の体を慈しんだ。私しか男を知らぬ妻にとってはその方が余程達しやすかったのだ。妻が達すると乳房がしこり乳首が尖りそうして白い液体が乳首の先にぽつりと点ると滲み溢れしまいには噴水のように弧を描いて噴出する。その様が命の横溢と見えて美しく途方も無く、私は、愛しかった。
 どんな理想のどんな美しさの前にも現実は横たわり終わりをもたらす。私と妻との堪らぬ蜜月は子の離乳と共に終わりを告げ、そして経済的事情は私たちに二人の子供しか許さなかった。それはそれでいいのだが、妻も子も相変わらず愛しいのだが、それでも、私は母乳の、あの神秘の液体の、味わいの、温かさの、仄かな甘さの、鉄っぽさの、水っぽい薄さの、思いも寄らぬ噴出の力強さの、あれを、忘れることはできなかったのだ。
 私はこの老人を、田沢老人を、ほんとうのところ軽蔑している。あれは純粋の変態だ。いい年をして女も愛せぬままに至った乳房フェチだ。だが私は彼の持っている乳房、独立した乳房の秘密のにおいをかぎつけ、親交を持ったのだ。私の目的は単純だ。私はただ、不義を働かず、いつでもあの甘さを自分のものにするための道具が欲しかっただけなのだ。
 茶缶の中にぴったり納まっている丁度よい乳房。もしそれが母乳を分泌するものであったならば、私にこそそれは必要なのだ。田沢老人は乳房の形しか愛でていない、外形しか、触感しか、見かけしか愛でていない。乳房には機能がある。命を養う液体、母乳を、乳を、分泌するというかけがえのない機能が。
 (かたちだけ愛するなんて、そんなの乳房に失礼じゃないか)
 
 水代は田沢を何とか言いくるめて乳房から乳を搾り出せないか、算段していた。だが搾乳を施すにはこの乳房は余りにも可憐で愛らしかった。乙女を犯すようなものじゃないか、水代は困惑した。
 (やはり母乳は吸ってやるのが肝心だ)
 妻との交渉で、乳が出るようにするその吸い方には自信があった。だがこの乳房に分泌の用意がなければ意味がない。弁天は処女ではあるまい。だが経産婦であるのか。育児中であるのか。授乳中であるのか。どれも違うように思われたが、
 (だが相手は女神だ。やってみなければわかるまい)
 水代はそう思った。

 (そうだ、乳房を茶缶の底からはがせばよいのだ)
 思いついた水代は、やおら茶缶を掴むとトイレに駆け込んだ。田沢老人は青ざめ追いかけた。水代はそのまま鍵をかける。動転している田沢老人は何をどうすべきか混乱してひたすらに愛しい乳房の無事を案じて扉を叩き続けていた。トイレの中で水代は汗をびっしょり掻きながら乳房を茶缶の底から静かにはがそうとしていた。
 「おっぱい! わたしのおっぱい!」
 (煩いなぁ)
 水代は茶缶に手を突っ込み乳房を摘むとじりじりと力をかけた。剥がれろ、剥がれろと念じている内にそれは張り付いた餅のような具合に吸着力のある剥がれ方をした。水代は思わずそれを掌に載せてみた。全く和菓子のような愛らしさだ。温もりと湿り気が生を証している。呼吸しているのだろうか? 水代は思わずほお擦りした。それから鴇色の乳首をそっと口に含んだ。
 妻相手に習い覚えたように、水代は舌先を丸め、乳房のまろみを扱くようにしながら律動を持って吸い上げた。口腔内で拉げたようになったそれは、無体なもてなしを暫くこらえた後、とうとう僅かな液体を零れさせた。瞬間水代の体が震えた。心の臓に砲撃を打ち込まれたような、甘い衝撃。
 母に見たように、妻に味わったように、じき乳首はいくつも備わっている乳腺から幾筋もの乳を溢れさせた。水代は暫くの間喉を鳴らして飲んでいたが、程なく大量にむせかえり唇を離し咳き込んだ。喉から鼻に溢れた乳は甘く温かく馴染みやすくしかしやはり苦しさを覚えさせた。目頭からも白い滴を溢れさせながら水代は立ち上がった。乳房は彼の手から落ちたがなおも相当の勢いで乳を噴出し続けていた。それは狭い小部屋にたちまち溢れ扉を破った。扉の前で頑張っていた田沢老人は扉に打たれて倒れたがなおもおっぱいおっぱいと叫び続けた。真っ白な奔流が部屋を蹂躙し、二人の男は母乳に溺れた。それは赤子の頃のような、母の乳首を片手でまさぐりながら吸い付いていた折のような、その最中に勢いに負けてむせたような、甘く狂おしい苦しさだった。二人はあちこち翻弄され、流れの中で、まるで体の隅々まで親和性のある母乳に洗われたような、新鮮な曖昧さを味わっていた。

 水代が目を覚ましたとき、部屋には濡れた跡一つなく。田沢老人は茶缶をいとしそうに撫でていた。茶缶の中には素知らぬ顔の乳房が前と変わらず収まっていた。水代は流石に心から非礼を詫びた。だが田沢老人はともかく乳房が帰ってきたのだからと淡々と答えた。水代は田沢に頼んでもう一度乳房を少し撫でると、家を辞した。
 (ああ、もう一生分の乳を飲んだような気がする)
 内心で呟いた。ゲップが、乳臭かった。

お蔵出し 百物語第二夜其の九十 パンチラISM 、または僕がいかにしてパンチラのみを愛しパンモロを嫌悪するようになったかについて

 今回の出来事を明かすにあたって、パンチラの表記法に迷った。
 パンチラかぱんちらかはたまたパンちらか。
 グーグル先生に聞いてみたところ、パンチラ>ぱんちら>パンちらであったため、パンチラの表記を採用した。
 
 パンチラ。
 僕はパンチラが好きだ。誰だって好きだろう。しかし何故好きかと問われれば答えに窮する。
 何故パンチラなのか。それはたかがパンツではないか。布切れではないか。繊維ではないか。どうせなら先を望め。男子たるもの真の目標はヴァギナであろう。そうであれば、パンチラよりもマンチラ(リアルにそういうものにお目にかかる機会があるかどうかはともかくとして)を志向すべきではないのか。
 否。
 自分はマンチラに萎える自信がある。赤貝のようなアレにふい打たれたらたとえその持ち主がどんなに美しくどんなに清楚なお嬢さんであったとしても屠殺される山羊のような表情でがっくりと膝を着く自信がある。なぜか。別にヴァギナが嫌いとかそういうわけではない。大体ヴァギナは好き嫌いの対象ではなかろう。あれは本能的な需要を呼び覚ますだけで、心のイコン、あくがれの的になるようなものではない。
 やはりグロテスクだからだろうか。はみ出した内臓そのものであるからだろうか。
 いやそんなことを言えば自分のペニスだって相当グロテスクなものだ。全身わりと慎重に滑らかにこしらえてあるにも拘わらず、何故両性とも生殖器はこんなグロテスクな作りなのか、進化の神様に問いただしたい。しょーがんないんだろうが、何か違う。
 パンチラ。
 パンチラは神である。女神の光臨であり、幸いの不意打ちである。マンチラはありがたみが生々しいのにパンチラは見たものの精神を高みに押しやるほどの幸福力を孕んでいる。極度の守備範囲外はともかくとして、自分の好みのタイプの女性のスカートが突然風にあおられ、その奥の清楚なる布きれが一瞬、ほんの一瞬視野に閃き…そしてたちまちの内に再びスカートの帳の向こうに隠れてしまった、そんな場面を想像して欲しい。それはいったいどんな喜びだろうか。自分の運のよさを誇り、神に感謝せずにおれるだろうか。一瞬であるということが大事なのだ。それは閃きであり、そして刹那であらねばならない。パンチラの本質は儚さであらねばならない。夏の夜空の花火よりなおその命は短く、それゆえにいつまでも見たものの心に残る、そのようなものであらねばならない。
 畢竟パンモロは邪道である。
 たとえそれが当の女性の意図しないところであっても、パンツが見えっぱなし、露出しっぱなしというのは僥倖よりもむしろ不憫を覚える。あまつさえ女性自身がパンツの見えていることを承知しているなぞ言語道断あってはならない事態だ。男子が目を離せなくなっているのをいいことに蔑んだりまたは何か採算的な理由でパンモロの状態を継続したりそういう仕事が男子をいったいどれだけ落胆させ幻滅させしまいには当の女性に侮蔑を向けさせてきただろう。そんなあからさまな真実に何故女性は思い至らないか。確かにパンモロの女性は衆目を集めるであろう。だがそこには恋慕も憧憬もときめきもない。そこにあるのはただそんなことをしてのける女性への呆気と好奇と憐憫のみだ。そんなことをして男子の目を集めたいのか、そんなことまでしてお前は見られる対象でありたいのか。
 にもかかわらず世にはパンチラとパンモロとを混同し、例えば女子高生がしゃがみこんでそのまたぐらの布切れが無防備に露出されているそれをいかにも正当なパンチラであるかのように言い立てて手柄と思っている輩がいる。
 否! それはパンチラではない! 途方もなく稀有な千載一遇ではない! それはそこにただ出っ放しになっているじゃあないか!
 そういうのはただの露悪というのだよ、君。
 永続するパンチラなどパンチラではない。大体言葉にもそぐわない。大切なのはパンのみでなくまたチラなのだ。あくまでも注意深く隠されているものが、秘匿すべきものが、思いもよらぬ契機で露呈されてしまった、しかしそれは極めて貴重であるからすぐに再び隠されなくてはならない、そういうものなのだ。そしてまたそのように男子に追認させてくれる含羞の女性こそがパンチラの価値を高めるのだ。そんな、パンツが露出していようがしていまいが気に留めないような、ナイロンザイルのように雑な神経の女性に含羞は演出できまいよ。
 しかして結局パンチラのマンチラに対する絶対優位の所以は何であろうか。同じチラであるならば、より核心に近いマンチラをむしろ人は尊重し憧憬すべきなのではないか…それが極めてまれな、否たとえ現実にはほぼ起こりえない事態であったとしても。
 それでも思考実験をすればマンチラよりパンチラの方に軍配が上がる。
 
 羞恥の延長最後の一枚であるからパンツはヴァギナより上なのだ。
 僕はふいに思い至った。
 パンツは外だ。社会との接点だ。パンツを脱ぐのは私的空間においてのみ、公的空間ではパンツは必需だ。
 パンツはわきまえている。パンツは馴れ合っていない。パンツは最後の規律だ。最終局面に控える理性だ。パンツこそ社会性であり、それはたった一枚の薄い布切れでありながら尤も私的な肉体の部分を守っている。
 そのぎりぎりの危うさが結局パンツの本質であり、またパンチラの魅力を高める要因なのだ。ほんの何ミリの薄さの表と裏。私と公との分水嶺。あんな小さな布切れが、なんという大役を担っていることだろうか!
 その可憐さが、そのいじらしさが、その健気さこそが、パンチラとマンチラとの天地ほどの格差を担っているのである。


 そんなパンチラ主義者である僕に友人が誘いをかけてきた。あたかも鬼の首取ったが如くに
 「お前、パンチラパーク知ってるか? パンチラパークいこうぜ! 」
と。
 僕を誰だと思っているんだ、といやな笑いをしてみた。そんなもの周知で、そして無価値だと思っている。
 いかにも素人好みだ。聞くところによるとパンチラパークはさまざまなシチュエーションにさまざまなジャンルの女の子がたたずみまた歩きその過程で非常に頻繁にパンチラが演じられるのだという。女の子たちは恥らうときもあれば平気なときもある。無意識のパンチラにぐっと来る客も不覚のパンチラにぐっと来る客もいるためだ。もちろんパンモロが好きなお客のために露出しっぱなしのこともあるという。一時間なんぼの入場料制、女の子によっては客の持ち込みパンツ(新品に限る)をはいた上でパンチラを拝ませてくれることもあり、またそのパンツを返却するサービスもあるという。
 もちろん有償のオプションサービスだが。

 生粋のパンチラファンにとって演出されたパンチラは邪道である。、
 パンチラとはあくまでも不慮でなくてはならず、またパンチラ者がパンチラに対して強い羞恥を持ち続けておらねばならない。そうでこそパンチラは宝石のように希少な現象となる。
 兌換可能になったパンチラに何の価値があろうか。
 パンチラは金銭に換えられぬ可能性であり希望でなくてはならない。不意打ちであり偶然でなくてはならない。
 そんなこと、他の誰よりも僕自身が承知している自信がある。
 にもかかわらず。
 僕は結局そこに足を踏み入れることになってしまったのである。
 何しろ友人は
 「お前のためにチケットを手に入れたんだぜ」
 などというのだ。パンチラパーク、思いのほか人気で入場予約が一月待ちなのだという。どこの高級レストランだ。
 またパンチラパークは女の子の質が高いことで有名らしい。
 基本がパンチラということで、女の子たちの心理的ハードルが低い。勤務時間も比較的自由、その癖バイトとしては割りがいい。結果、風俗の垢のついていない女の子たちがこぞって面接に来るようになり、売り手市場なんだそうだ。
 
 それを知って、正直、ちょっと興味をそそられた。

 まあ素人の粗雑なパンモロに比べたら演出されたセミプロの(しかしあくまでも中身は限りなく素人…であってほしいなー)良質のパンチラの方がはるかに上だろう。天然モノのパンチラにこだわる自分でもそのくらいはわかる。えさに気を遣った養殖物のほうがヘドロの海で育った天然モノより美味いのは道理だ。もちろん最上は美しい天然の海で育った天然のうなぎだろうけれども。
 いや、うなぎの話じゃあないな。

 というわけで、折角の友人の誘いでもあり、それに応じて改めて調べたり話を聞いているうちにわりとその気になったので、僕たちは次の火曜仕事帰りにパンチラパークにゆくことにした。

 パンチラパークはとある風俗王の建てたショッピングモールにあった。
 のっけから攻撃を受けた。受付嬢の良質パンチラである。
 受付嬢は膝をきちんとそろえ足を斜めに流している。が、制服がミニのタイトスカートなので、隙間から魅惑の三角地帯が覗けそうだ。常において、電車の向かい側、ニュースのアナウンサー、そして机の下から見た同僚のその部分は謎めいた闇につながっている。そうしてその無限回廊のごとくか細い闇に気づいてしまうと、男はそこに実に70パーセントほどの意識を奪われてしまい、三角地帯が消滅するか自身が立ち去るまでの間、終始いかにも不審な挙動を披露し続ける羽目になってしまうのだ。今まさに自身が陥っているがごとくに。
 受付嬢は、きわめて冷静な、僕のまなざしを知らぬごとき振る舞いで招待券を確認した後、
 「どうぞ 」
 と僕の目を覗き込むように微笑んだ。
 そのまなざしを見て、僕は、彼女が僕の視線のすべてを承知していたことと、それが許される場所であるということを実感したのである。

 パンチラパーク。
 白状しよう。舐めていた、パンチラパーク。ここまでやってくれる場所だとは思わなかった。ありがとうパンチラパーク。
 というわけで概要を説明しよう。
 シチュエーションは基本的に公共の場である。なぜならパンチラとは公共の場においてたしなむべきものだからだ。プライベートな場面でのパンチラは、身内のパンチラだったり彼女のパンチラだったりしてパンチラ度が低い。なんというのか、ここでも先に述べたパンチラの社会性がかかわってくるわけだ。そもそも隙の許されるプライベート空間とは異なる緊張の場、公共の空間においてこそパンチラの価値は高まるのである。
 学校、会社、公園、路上、駅レストラン、病院、…我々が「ここでこそパンチラを拝みたい、ひらめきゆれる布の奥襞かき分けて輝く白に巡り合いたい」と思うようなシチュエーションが余すところなく網羅されている。お前俺? といいたくなるほどに見事なセレクトだが、まぁおそらく男性の好みの最大公約数なんてこんなものなんだろう。学校(教室と校庭を模した小さな空き地につながる階段が設置されている)ではロリフェイスの少女たちが短いスカートをひらひらさせながらおしゃべりしたりごくたまにスカートのめくりっこをしたりしている。時々強い風が急に吹いてきてひらりとめくれ上がったりそれを慌てて押さえたり。 
 駅ではやはり制服の少女が例のごとくぎりぎりの短いスカートの後ろをわざわざかばんで隠したり手で押さえたりしながら上っている。が、ガードが固いようでありながら急に思い出したようにかばんの中を探り出すその垣間見! そう、このシチュエーションだ! どうしてあんなに短いスカートをはいておりながらこうもガードが固いのだ! といつも不満に思っていた。ちょっとぐらい隙を見せてくれたっていいじゃないか!
 それに対する答えがこのパンチラパークだ。
 最初から押さえもしないで階段を上って行けばリアリティがない。押さえているところにふいに生まれるわずかな隙、意識が背後から鞄に移るその瞬間の無防備さ、それこそがパンチラの醍醐味なのだ。
 他、レストランでのアンミラ風ミニスカの女の子が落としたものを屈んで取るときのあののびやかなかかとふくらはぎひかがみ太ももに連なるまばゆいパンチラ! はたまたテーブルを拭くために乗り出したときの無防備! 保健室の先生のやけにミニなタイトスカートの足の組み換え、しゃがみこんでいる少女の股間(これはパンモロに相当するが折角の機会なので無遠慮に見つめさせてもらったところぱっと隠して頬を染めたその絶妙な演技指導に僕はやられた)、電車の向かいの緩い股間、プリクラのカーテンの下から覗けるはみ出したようなパンチラ、ペット愛撫する少女のパンチラ、スリット入りロングスカートの計画されたパンチラ、フレアスカートは風にあおられ、ロングスカートも風にあおられ、公園ではブランコに乗りまた滑り台をしまくれあがってそれを羞恥し、ああ、ああ、右見てもパンチラ左見てもパンチラ!

 実は入場券だけでは全てのパンチラシチュエーションを拝むことはできなかった。自由なのは路上など公共の施設だけで、学校や病院、保健室や喫茶店などに入るには別料金が必要だったのだ。まあ喫茶店はメニューを注文すればそれで足りたが。しかしそんな別料金がまったく気にならないほどのパンチラの自然さだった。この程度のパンチラなら運がよければ結構拝めるものだ、という者もいるかも知れない。だがそんなことをいう輩はわかっていない。確かにパンチラチャンスは春先などには大いに増大する。だが、そのパンチラを無遠慮に凝視しても相手の女の子から侮蔑されることなくただ「えっち」という言葉やら羞恥やらのみを返されるなどという状況が現実にありうるだろうか? ある。パンチラパークのパンチラは安全だ。保障されたパンチラだ。この点で、ただパンチラの提供でない、精神と自尊心との安全を確保している点においてこそ、パンチラパークの意味があるのだ。
 
 僕は調子に乗ってあちこち見回っていた。病院で看護婦さんのパンチラも拝んだ。会社でOLさんのパンチラも拝んだ。そして一通り堪能した後やはり一番好きで一番遠く一番懐かしい学校のパンチラを見るために戻ってきて。
 気づいた。
 非常階段に、一人少女が座っている。その少女、真っ白に無表情だ。そして、ひどく無防備に、そう、パンモロの状態をずっと続けている。
 何か、おかしい。やばい。
 僕はそう思った。見ちゃだめだ。気づいちゃだめなんだ。
 彼女が座っているのは階段の一番上で、どの少女もそこまで上ってはいかなかった。その一つ下の踊り場まで行くとひらひらと戻ってくる。
 そうだ。
 少女たちは皆よく歩き回っている。座ったりすることもあるけれども、基本的には駅に行ったり路上に行ったり公園に行ったり店に行ったり、おそらくパンチラチャンスを増やすために巡回している。だが彼女は多分僕がここに来た最初から同じ場所に座っていて、そして今も同じ場所に座り続けている。
 ずっと?
 ずっと!
 
 (考えないようにしよう)
 急に金玉が冷たくなった。蟻の門渡りが収縮し、いやな気分が血管を駆け巡る。気のせいだ。ただの気のせいだ。ゆっくりと、相手に悟られないように目をそらし、そっと教室内に移動した。そこで無邪気で健康的なパンチラを堪能して気を晴らそうとしたのだが、あれに気づいてしまったせいで、最初ほどは楽しめなくなっていた。

 「どうよ」
 友人が自慢げな顔で肩を叩いてきた。お前演出されたパンチラがどうのとかいってたけど、楽しそうじゃん。
 「まぁな」
 僕は答えた。
 「連れてきてくれてほんとに感謝してるよ。今度は自腹だな」
 「言ってることが違うじゃねーか」
 「いや、もういい年だし、なんか安全なパンチラっていうのもいいもんだなって思って」
 「いい年のやつがこんなとこくんなよ。で、どの子がタイプ? 」
 そうだな…言いながら黒板の方に目を移すと。
 そこにあの少女がいた。
 真っ白な顔で、床にしゃがみこんで、パンモロの状態で。
 (いつのまに)
 (移動したのか)
 (じゃあ、…人間なのか)
 そう考えて安心しようとした。そしてまた目を…そらそうとした。
 少女はうつろなままだ。ぼうっとどことも知れぬ目の前の空間を見つめている。
 だが、何か変だ。
 そう思うとその違和感のもとを突き止めずにおれなくなった。なんだ? この違和感は? 何がおかしい? 僕はそっと目を泳がせて彼女の表面を探った。髪型から顔へ。顔から首筋へ。首筋から胸元へ。両の手、腹部、スカート…。
 パンモロ。
 (え? )
 ぬれていた。ぐっしょりと。おもらしをしたのか? そういう演出か?
 そうではなかった。
 それがなんであるかを理解したのは、そのすぐ後のことだった。
 
 濡れて半ば薄く透けている白い木綿の布、その奥が蠢いた。
 何か丸いもの。赤いのか黒いのか白いのかそれとも肉色なのか。
 もがいている。
 僕は言葉をなくしそれを見つめていた。その光景を見つめていた。
 細い何かが布を掻き…それは指のようだった。
 何度ももがいて、布は何度も丸く膨らんでははじき返すように戻った。破けはしまい、恐れつつ私は布の丈夫さに縋り安堵していた。が、そのうち…驚いたことにその丸いものは布を破ることなく影のようにするりと通り抜けた。
 ぼたり、と床に落ちた。
 長い青白い紐に繋がれたそれは、しばらくの間、粘液をにじませながら、うようよと蠢いていた。

 少女は終始無表情のままだった。
 微動だにせず、僕が最初見たときと同じ格好のまま。
 
 あれから僕はどうやって外に出たのかよく覚えていない。
 ただ、友人がひどく心配して、送ると言ってくれていたことだけは覚えている。
 
 
 あの少女はこの世のものではなかったのだろう。
 僕に縁があったのかもわからない。あの場所に縁があって居ついているのだと考えたほうが自然だ。
 なぜあの少女があんなことになっていたのか、それもわからない。望まぬ妊娠だの堕胎だの流産だの隠れた出産だの、そんな単語が連想されたが、詳細を知りたいとも思わなかった。


 とにかく、あれ以来、僕はいよいよパンモロが恐ろしくなった。
 無造作に開かれた緩い股間を見ると、それが布に守られていようと、恐ろしくてたまらなくなった。

 (そこは、温かい水に濡れた何かが、出てくる場所なのだ)



百物語第四夜 其の伍 電脳作家と奇怪な検閲

こんな小説を読んだ。

「私こと◯◯◯◯◯、稀なる出来事に出会ったため、その解題をここに記し、後世の資料とし、また読者諸兄の判断を求むる材となさんとす。

 私はハンドルネーム「◯◯◯◯◯」としてネット上に様々な文章を書いている。最も力を入れているのは百物語と銘打った原稿用紙で20枚内の幻想掌編集だが、そのうち日記風の雑記もものするようになった。この雑記、当初は百物語を更新しない日の埋草に過ぎなかったが、書くのが楽なもので、じきそちらばかり更新するようになった。
 雑記を始めた当初はブログの黎明期で、そのため自分もHTMLベースでちくちく更新していた。だがあるときブログを試しに使ってみたところ、記事を書いて公開する以外にも様々な機能がついており大変至便であることがわかった。検索機能は自前の備忘録としても利用する自分のようなものには中々有り難い。記事をカテゴリごとに分けられるのも良い。だが、最も画期的であったのは、外部から個別記事に独立してリンクを張りうるという点であった。これまではリンクとは基本的に頁あるいはサイトのトップページに張るものであった。だがブログを導入したことで、私の記事は私がこれまで積み上げた文章から解体され、検索結果や個人ニュースサイト紹介のリンク先に、単独で立ち現れうるようになったのだ。
 この改新に押されて私の雑記への姿勢も変化した。それまでの日記備忘録風から、記事については単独での完成度、主題については様々な個人ニュースサイトが取り上げたくなるようなカテゴリのものを意識するようになった。掌編集としての百物語が丁度そうであったように、私という書き手のことも、前後の作品のことも、全く知らなくとも楽しめ、何かを得られるような、そういう記事を書くべく私は腐心した。そのときどきに思いついた主題を表現するに最適な文体を選ぶことを旨とし、学術的な内容であれば学術的な記述を、下劣な内容であれば下劣な記述を、心ゆくまで弄び研ぎ澄ませながら書き上げた。そう、そこは百物語と同様、私にとっての実験棟だったのだ。
 そして私の腐心執心砕心の成果か、いくつかの記事が個人ニュースサイトで取り上げられるようになった。リンクが増殖し、アクセスが爆発的に飛躍する現場に私は立ち会った。好意的なコメント、否定的なコメント、一人語りなコメントなど寄せられるうち、否定的なコメントをツンデレ変換して幸せになるという究極奥義を体得したりもした。はてなブックマークも稀に頂戴した。tumblrで少なからぬ方に転載頂いたりもした。現在は記事を上げれば拍手やコメントを頂戴しないことが珍しいほどになった。誠に嬉しいありさまであった。

 そんな折のことである。

 近親者より
 「あなたのブログについてのメールがうちの方に来た」
 と言われた。
 正直驚愕した。
 苦情であれば何しろコメント欄を開いているのだからそちらに書きこめばいいだろう。メールアドレスもサイトには公開している。何故近親者の方に寄せるのかがわからなかった。そこで転送願いたいと言ったのだが転送はできないという。ではどのような内容だったのかと尋ねてみたが面白おかしく紹介された、というばかりである。さてはミクシーあたりのコミュニティであなたの近親者のブログではないかと紹介されたのではないかと思うが、推察に過ぎないのでやはり真相は藪の中である。何にせよどのようなメールであるかがわからない以上こちらには対処の仕様がない。だが近親者は
あなたのブログは言葉遣いが汚い
品がない
身内のことを書くのはやめてほしい
匿名でも特定するのは簡単なのはわかっているだろう
などという。そうしてしまいには
私は全ての記事を読んだ
と言ってこちらを睨んできた

 私はいよいよ困惑した。

 察するに、メール(或いはコミュへの書き込み)は悪意あるものではなかったのではないか。だがそれを読んだ近親者が
こんなことを書いておったのか
と知り、立腹したのであろう。つまるところ、身内のことを書かれて立腹しているのも、品のない主題に立腹しているのも、汚い言葉遣いに立腹しているのも、メールの書き手ではなく近親者本人なのである。
 それにしたってわからないのは件のメールを書いてよこした人の正体である。誰がどうしてわざわざ近親者に私のブログの感想をよこすだろう。私が◯◯◯◯◯であることはリアルの知人の一部には伝えてある。が、そもそも私と繋がりのある人々が何があったとて近親者にメールを送るとは思えない。ブログ読者という立場のみであれば、仮に◯◯◯◯◯と私とを結びつけ得たとしても、そこから近親者のメールアドレスを割り出しメールを送ることは先ず不可能であろう。つまり件のメールを送ったのは、もともと近親者の知人であり、私の書いたものから私を近親者に親しい何者かであると推測した人物であると考えられるのである。
 とはいえ近親者からメールが転送されない限り上記は仮説もっといえば邪推でしかない。

 それよりも近親者の、ハンドルネームを匿名と同等とみなし、個人ブログを2ちゃんねるなどと同等とみなし、心砕いた記事を匿名で誰だかわからないことをいいことに好き勝手なことを書いていた、と断ずるような認識のほうが問題としては根深い。

 私は元々隠し事に向いていない質である。さらに物書きの真似事をしたがる人間の例に漏れず相当露悪的なキライがある。そんなわけでブログについては距離を測りながらではあるが同好の士と見れば同僚知人問わず明かしている。もっというと私は◯◯◯◯◯としての自分の有り様に誇りを持っている。実名でやらないのはネットからリアルへの過度な逆流を抑制するためだけであり、ここにいる私がネットで文章を書いているということは、私にとって隠すことではなく、そうであれば私は近親者が考えているように匿名のつもりは全くないのである。ついでにいうと、ブログ運営については数年前何かの折に件の近親者に知らせたこともあったような気がする。よくは覚えていないのだが。
 私が持ち合わせているのは、近親者であれなんであれ、見たければ見ればよい、つまらなければやめればよい、というだけの単純な信条である。ワールドワイドに公開しているんだもの、見られたくないから見るなという理屈が通用しないことなぞ端から承知しているし、そのような気構えで記事を書いてきたんである。

 だが近親者にとってはそうではないようだった。
 ネットは匿名だけど今は実名への流れもある、カンニングだってあっという間に身元がバレた、内容からあなたを特定するなんて簡単なことだ、ログとかどんなに残ってるかわかってるだろう。
 こんなことを言い募る。
 まるで私が2ちゃんねるやツイッターで犯罪予告あるいは報告でもしたような扱いである。

 つまり近親者は、七年間同一のハンドルネームのもとに積み上げたものであれなんであれ、私が書き散らした文章は悉く予測不能なリスクにみちみちており、それらは放っておくと大変なことになるやもしれない、だから今のうちに消しておいたほうが身のためだ、と考えているのだ。

 このような純然たる認識の齟齬を、どのように解決すれば良いのか、当初の私には全くわからなかった。ただ近親者が全ての記事を読んでおりながらその中の公益に資するかもしれないものの価値をほとんど認めず、下劣なもの、身内について語っているもの、言葉遣いの荒いもののみを心にとどめそれらについての不快感を増殖させているだろうことだけは推察できた。私は繰り返し、苦情のメールが来たのなら転送して欲しい、問題と思われる記事を指摘して欲しいと求めたが、近親者は、身内については書くな、汚い言葉は使うな、というばかりだったのである。

 さらに近親者は、話し合いの機会を設けるよう持ちかけてきたが、それが全く話し合いになぞならないばかりか、下手な舵取りによってはブログ閉鎖の憂き目に至りかねないことは容易く予想されたので、私は真剣に事後を検討することにしたのである。

 結果、身内について書くな、汚い言葉は使うな、というのは一つ尤もな話でもあり、またこのところ内容が下劣に走っている点については自認しているため、よい機会でもあるので、その点については改善を試みるつもりになった。ただ身内に当然含まれるものとして、子どもについて思うところ、教育における取り組みについても書くことまかりならんという取り決めには閉口した。別段今さら近親者について書く気はないが、教育論は別である。子どもらについてくさぐさ思うところを書けなくなるというのはブログ現実双方における大事な生命線を一本失うようなものだ。よその誰かが参考にするかもしれぬ。私の心の水はけも目的である。そして何より、いつか私が亡くなった後に子どもらが辿れるような、そういう場所として私はここに文章を綴っているのだ。
 だがそれを近親者に理解してもらうのはおそらく非常に困難であろう。先も書いたとおり先ずインターネットというものに対する認識が異なっている。彼らにとってはヤフー知恵袋も2ちゃんねるも個人ブログも等しく匿名者が好き勝手に書いた有象無象の情報の寄せ集めだ。彼らにとっての情報ソースとは、マスメディアであり、官公庁或いは会社のサイトであり、或いは知人友人である。それ以外はまさに便所の落書き以上の何者でもないのだ。
 そんなものが誰かに資するはずはないというのが近親者世代にある根深く揺るがしがたい認識であり、そんなものに参加する行為自体が低劣だと思われていても全くおかしくはないのだ。

 ここまで考え至って、私は、マスメディアとインターネットの捻れながら侵食しあうような共存構造に纏わる秘密を垣間見たように思った。つまるところジェネレーションギャップなのだ。個人がどうしようったってどうなるものではない。

 改めて、私がブログの閉鎖を迫られなかっただけよしとせねばなるまい。

 だがその一方で、実に奇妙なことに、これは大いなる好機でもあるという期待感が丹田よりふつふつと湧いてきたことを告白しよう。実のところ、近親者もまた一人の読者なのだ。しばしば「嫌なら見に来なければよい」と言われるし、私自身そう思ったことが全くないわけではないが、残念ながらそれは自身の行動規範にすることはできようとも、人に対し指示できることではない。そして何より重要なのは、あらゆるコメントは全て私のこのブログを何らかの形で気にかけたその成果であるという単純な本質の認識だ。一見否定的なコメントとは、「あなたのことを考えて書いてるとかそういうんじゃないんだからね、勘違いしないでっ! でもね、この記事のこの部分、あなたの考え方って……」と始まる遠回しのラブレターなのだ。

 さあれば私がすべきは何であるか。

 下劣を完全にやめることは自身の性分として大変難しいであろうから、せめてそれを高尚の絹布で包むこと。言葉遣いについてはやや伝法あたりにとどめておくこと。子どもら以外の近親者記事については書かないこと。そして、子どもらについては、記事を書く都度公開前に「こういうものを公開しようと思うがどうか」と質してみること。つまるところ本人の検閲を受けるのである。そこまでやれば、まぁ、問題はあるまい。
 そしてもし近親者の世代が近親者と同様個人ブログは便所の落書きに等しいと考えているなら、にも関わらず彼らをして「面白い」「この個人ブログは読み応えがある」「個人ブログというのはなかなかよいものだ」と思わせることができたなら、いっそ愛読者にすることができたなら、それはまた素晴らしいことではないか。
 インターネットは面白い場所だ。誰もが様々なコンテンツを公開することができる。そしてそれはインターネットにアクセスできる立場にあれば好きなときに閲覧することができる。人類史上稀に見る情報共有の時代、それが二十一世紀だ。その中で記事を公開しながら七年過ごした経験が、また積み上げた記事が、全く無駄なわけがない。誰も彼も読み手だ。マスメディアより深く広いメディアに文章を公開している人間として、私にはより良い記事を公開するために自身を修正する責任がある。
 そして願わくば、この文章をここまで読んでくださったあなたが、私の文章のこれからの読み手となってくださいますよう。」


駄文にゅうすさま、記事の紹介ありがとうございました。
RinRin王国さま、記事の紹介ありがとうございました。

百物語第四夜 其の六 通夜綺譚

 仕事帰り、座席の前に二人の若者が立った。
 一人は男性、一人は女性、就職活動中の大学生か去年就職したばかりの新社会人か、どうにも初々しい感じがある。
 慣れないながらきちんと着こなしたスーツ、櫛の目も丹念にまとめたセミロングの髪、そういう「初々しさ」の記号を懐かしがりながら、自分はまたもうひとつのこの二人の「初々しさ」の秘密を解題しようとしていた。
 距離感。
 妙齢の男性と女性だ。男子学生と女子学生と言ってもいいくらいの年頃だ。そうして乗り込んできた時から親しく会話はしているがその親しさに玄妙なまでの距離がある。進展を諦めた友達同士の馴れ馴れしい親しさではなく、かといって既に男女として気心の知り合った熟れた親しさでは更にない。そんな中男性の方はこの関係の伸び代を十全に見込んでいてその上でいかに伸び代を保ったまま踏み出すか惨憺している風であった。自分は本を読む顔をしたまま彼らの言葉に耳を済ませた。彼らはこれから会う仲間について話をしている。誰彼の都合はどうだ、誰彼は遅れてくるらしい、そういう会話から、大学のサークル仲間で久しぶりの呑みでもやるのかな、と算段していた。そのうち二次会をほのめかすような話を男が振ったところ
「あたしは行かないから」
怒りすら含まぬにべもなさで女がそう返したのを他である私が冷や冷やして聞いていた。
 男性は女性にたいして始終気を使っている。こうやって二人で会うのは悪くないなぁむしろいい感じだなぁ周りには僕らどう見えてるかなぁなんてぇ期待感が見て取れる。一方の女の子はこの人悪い人じゃないんだけどネーというような、付き合うことなど考えたこともないが話をしてると結構楽しいし盛りあげようとしてくれてほんと良い人だなーくらいなまなざしである。そうは言ってもこの女性はこうして二人で電車に乗って目的地まで君と話しあうのもやぶさかじゃないと結論づけたわけだ、うまくやればもう少し距離は縮むだろうよ、ちーぢめ、ちーぢめ、などと余計なエールを内心で送っていたところ。
 「数珠持ってきた? 」
 「一応」
 
 (ああ、葬式であったか。それでは距離を縮める糧にはならんかもなぁ)

 それから二人は焼香の様式について迷い、そのうち自傷癖のあるらしい友人の話になった。弔事を前にした人間というものは、どうもそういう一種湿っぽい話題を選ばずにおれなくなるらしい。その友人がかなり病んでいることを伺わせるエピソードが、女性の口からぽつりぽつりと詳らかにされていった。こうなると彼らのこれから向かわんとしている葬式の主役は一体どんな関係あってどんな死に様迎えたのかどうにも気になってくる。それで耳を澄ませて言葉一句聞き漏らさぬよう努めておったけれども、結局その葬式は高校時分の同級生のものであることぐらいしかわからずじまいだった。
 それにしたって一体その後の自分がどうしてそんな行動をとったのか、後から考えても不思議でならない。好奇心が強いという自認はあれど、まさか自分が用もない駅で降りキヨスクで弔事用のネクタイと不祝儀袋とを買って彼らの後を追い始めるとは思っていなかった。どうしてそんなに興味を持ったのかわからないが、多分若いはずの彼らの同級が亡くなったその理由、そしてまた果たしてこの若いふたりが男性の心のままにもう少し距離を近づけることができるだろうか、そんなことが気になって見届けたくなったのだろう。大体葬式には一人や二人あまり見覚えのない人が紛れ込んでいるものだ。自分は何食わぬ顔で見知らぬ誰かの冥福を祈り少し飲み食いしながら彼らの様子を見ればいいのだ。そうしてもしできるなら二人だけ外れて二次会にゆくのを見届けてからすっきりと帰路に就きたいのだ。大概暇な話だがどうしてかそのときはそれが自分が果たすべき大切な責務とばかり思い込んでいた。そうして少しの距離を保ちながらあらかじめの参列者のような顔で彼らを追い会場あたりにたどり着いたのだが・・・・・・。
 (や、これは・・・・・・)
 ひとりごちた。都心行きの電車の駅から大して外れてもいないのに急に随分田舎である。畑があってぱらぱらと平屋がある、その平屋にの一にぐるりと鯨幕が引いてあり、受付はあるが誰も番がいない。
 人手がないにしてもおかしいだろう。私はあたりを見回した。夕暮れを過ぎているのに周りの家には灯の気配がなかった。この家にも人の気配があるようには思われなかった。これからこの二人と自分の他に人の来る様子も伺えなかった。このガランドウのような家の中に某かの死体が転がってあるのだろうか。そういうのはどうも異様に思われるが、どうなのか。
 程なくして奥から老婆が出てきた。老婆は始終俯いておりその顔がよく見えなかった。またその声もくぐもってよく聞こえなかった。老婆は記帳台の裏にまわり芳名録を男性と女性とに勧めた。そうして低いところから私に向かって訝しそうな目をやった。
 私は戸惑った。もっと、通夜といやぁもっと人が来るもんじゃあないのか。まさかこの二人ぎりしか呼ばれていないのか。はなから自分は呼ばれた客じゃない。だがそれにしたって、呼ばれていない客がすぐに見分けられるほど、この通夜は限定された通夜なのか。
 そうは言っても自分は黒のネクタイ締め手には俄の不祝儀袋を持っている。入場料という気持ちで納めようと思っていた千円札も入っている。ここで「違います」なんて帰るのもいかにも不自然だ。そう葛藤していると、ふいに声をかけられた。
 「・・・・・・あんたも××の高校のときのお友達かい」
 「あ、いえ・・・・・・」
 年頃が違いすぎるだろうといいたげあからさまな疑いのやり場に困窮した。といってどのような接点を提示すればうまく治まるのか検討もつかない。ありそうなのは大学かバイト先だが、果たして大学に行っていたのか、バイトをしていたのか、それすらもわからない始末。
 「あの、以前、お世話になりまして・・・・・・」
 仕方なく私は最も大雑把な常套句を持ち出して裁定を待った。老婆は暫く静かだった。何かを推し量っているようだった。そうして、
 「本日はわざわざおこしいただきまして云々」
 という古い佃煮のような型通りの挨拶をした。

 こちらです、と案内された先には、簡素な白木の祭壇、その周りに咲き詰められた白菊の花、そうして真ん中にぼんやりとした男性の顔写真があった。手前には棺があり、焼香用の香炉が捧げてあった。座布団はこぢんまりとした部屋一面に敷き詰められていたが、座る者がいたのは三枚だけ、まだ寒い折だというのにストーブの準備一つなく、コートを脱ぐのも躊躇われた。
 「さぁさ、どうぞどうぞ、××が寂しがりますから」
 そういって男性と女性は正面に座らされ、そうして私はそこから一つ離れたほぼ正面に座らされた。それぞれ数珠を手のひらにからめて居住まいを固めている様は、死人の冥福を祈るというより気を抜いた折の憑霊を封じるためのような、そんな用心にしか見えなかった。老婆は他のお客様のご案内があると言って出て言ってしまった。そういえば通夜とはどのような式次第でなされるものかすっかり忘れてしまっていて、やれることといったらただ二人の振る舞いと言葉とを観察することぐらいだった。
 「他にもくるんじゃなかったの? 」
 「うん、だってサトからメール回ってきたんだからね。遅くなるならそういやあいいのに」
 「メール打った? 」
 「それが圏外」
 薄紙のような不安が振る舞いごとに張り付いている。遅れている、遅れているのだな、しかしこの事態はどうしたことだろう。
 坊さんの来る気配もない。
 男性と女性とは顔を見合わせた。それに便乗して私も目をやり、いくばくかの不安を共有することに成功した。それでもまだ親しく話す程には至らなかった。
 そのうち静かな音楽が流れ始めた。優しげでなだらかで特徴のない眠たくなるような音楽だ。そうして録音されたナレーションが、××君の半生を語り始めた。
 曰く、××君はとある海沿いの街で健康に生まれすくすくと育ったが小学生の折に両親が離婚、祖母に預けられて育てられた。小学校、中学、高校と上がってゆくにつけ酷い苛めに遭い、卒業と同時にひきこもるようになってしまった。そうして先日切りすぎた足の爪から入ったバイキンが全身に回ってあっけなく死んでしまった。
 ××君は、自分のことを助けてくれた人は一人もいなかったと言っていた。××君が知り合った人は、××君を助けなかったから、みんな悪い人だ。
 卒業して四年間、他の人たちが人生をのびのびと楽しんでいる間、××君はたった一人で誰をも信じることもできぬまま、苦しんでいた。折角生まれてきたのに、何を楽しむこともできなかった。
 ここに参列した人はみんな悪い人だから、罪を償わなくてはならない。あなたたちの苦しみとあなたたちの命とあなたたちの周りの人が折られてしまったあなたたちの人生を惜しんで悲しむ様が、僕への何よりの
 「お香典だよ」
 明らかに異なる声色が、棺から聞こえたように思われた。
 
 悪意の毒が大気通じて体に回ったかのように。

 酷く頭が重い。何気のせいだと思おうとしていたが、そのうち吐き気や目眩までするようになった。手足は痺れたように冷えている。
 隣の二人を見た。女性の方は姿勢を保っておられぬ様子、男性は女性を支えてやっているが息を荒らげている。

 「ねぇ、八坂くん、樋口さん。
 もう、死んだ? 」

 もう一度、確かに棺から、声が聞こえてきた。

 わぁぁぁぁ、応えるように女性が泣き始めた。ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ、しゃくりあげるように叫んでいる。男性の方が中毒が深いのか、ただ青ざめながら女性の背中を宥めるように撫でてやっている。
 彼らはもうすっかり諦めているように見えた。

 だが私は諦めるわけにはいかなかった。なぜなら私は、無茶苦茶な話だが、彼にも彼らにも無関係だからだ。
 報いなぞ私の上に落ちてくるはずはない。
 では何か他に原因があるはずだ。
 
 ここに入ってから何かを喫食した覚えはない。そうであれば服毒のおそれはない。
 大体この身体症状は何か覚えがある。薬物とは違う何か・・・・・・。
 ふと棺が目に入った。
 そこから何か禍々しい霊気のようなものが立ち上がっているように思われて、私は重い足を奮い立たせながら棺に向かった。冒涜を承知しながら棺を開く。
 大量のドライアイスがそこにあった。
 私は色を失くした。大人一人前用の棺には確かに白い遺体があった。だがそれはようやく顔しか見えぬほどで、余った空間にはみっちりとドライアイスが詰めてあったのだ。
 棺から静かに流れ出す白い気体。
 それだけではなかった。近づいてみれば、祭壇に引き回した白い幕の後ろからも、白く細い気体が絶え間なく滴り落ちているようだった。
 (二酸化炭素中毒か! )
 どれだけ貯まってしまったのか、とにかく立ち上がって少しでも二酸化炭素の沈殿から逃れねばならない。自力ではもはや立ちづらいほどの状態ながら壁に寄ってなんとか立ち上がると、彼ら二人にも立ち上がるよう促した。
 「無理・・・・・・」
 女性が涙を流したままうつろな目で言った。
 「これは××君の呪いだから・・・・・・私たち、直接いじめには関わらなかったけど、知らないふりをずっとしてた・・・・・・その報いだから・・・・・・」
 その言葉を聞いて、理不尽なほどの怒りがこみ上げてきた。
 「お前らは馬鹿か! 呪いなんかじゃない、これは多分あの婆さんの逆恨みの復讐だ! 体が動かないのはドライアイスの二酸化炭素のせいだ! 今なら間に合うから早く外に! 」
 惑乱のため動こうとしない二人を引きずるようにして扉に向かう。部屋の扉は開いていた。
 が。
 その先にある玄関に向かう扉が、開かなくなっていた。
 何か重いもので塞がれているようで、微動だにしない。
 見回してぞっとした。
 この空間には窓がない。
 
 時間の流れが遅いように思われるのは中毒のせいか。覚束ぬ頭で抜け出す術を模索した。まず思いついたのが木造であれば燃やしてはどうか、ということ。ライターを出したが点かない。当たり前だった。だが微かに希望を託してもいた。
 持ち合わせている十徳ナイフの錐で壁に穴を開けてそこから脱出口を開いてはどうか。
 無理だ。木造とはいえ、どれほどの厚みがあるのかわからない。穴が開いたからと行って二酸化炭素が思うように排出される見込みもない。
 何かないか。
 この閉鎖空間に風穴を開けてくれるもの。

 「君たち、ペットボトル持ってないか! 」
 それは立派な思いつきだった。あのときの自分を褒めてやりたい。
 幸いなことに、女性も男性も、飲みかけのペットボトルを一本ずつ持っていた。そこに棺の中のドライアイスを詰める、詰める。一杯に詰めた後、塞がれたのとは逆の廊下の隅に一つずつ置き、蓋をきっちりと閉める。
 それから××君の遺体のある部屋の隅で、待った。
 爆発を。

 近所の住民の通報でかけつけた警官に救出され、私たちは事なきを得た。人気のない地域とはいえ爆発音は耳目を集めるに十分だったらしい。

 結局、これは××君が自分の死を餌に企んだ犯罪計画だった。

 実行犯は祖母。息子にも嫁にも裏切られ、大切な孫の生きる希望どころか命までも失われ、自分が孫のために叶えてやれる最後のこと、と思ってやったとのこと。
 そして、最も驚愕すべきは、この手口で既に死んだものがいたらしいということだった。
 あの祖母は、私たちの前にも、別口の同級生を誘引し、あの部屋で殺していたそうだ。
 その遺体は、引幕の裏に隠してあったらしい。
 詳しくは教えてもらえなかったが。

 警察に自分の立ち位置をわかってもらうには非常に苦労した。
 自分もまさかこんなところに巻き込まれるとは思わず、あんな気安い真似をしてしまったわけで。
 だが、職場の同僚が
 「彼はそういうことを悪意なくやらかしかねない、他意はないが好奇心に我慢の効かないタイプだ」
 とよくわからない擁護をしてくれたおかげでどうにか痛くもない追及から解放されることができた。
 それであの二人はどうなったのか。
 吊り橋効果で二人の仲が近づくかと密かに目論んでいたが、後味が悪すぎてダメだったようだ。
 逆にその後彼女の方から私に連絡があった。
 命の恩人にお礼をさせてください、と。
 だがこちらはどうにももっと後味が悪かった。そもそもこんな奇矯な行動を取るような男に無防備に近づこうというのはどうかという思いがある。なるほど私は彼女の命の恩人かも知れぬ。何もできなかった同級の男性より頼もしく見えたのかも知らん。だが、そうじゃない。
 
 (私は、君と、彼とが、仲良くなるところを見たかったんだよ)
 
 苛めに加担した、または改善の労を取らなかった同級生、教師、自分を餌にした殺人計画を立ててそれを祖母に実行させた××君、言われるがままに実行した祖母、何もできなかったがかばおうとした同級生の男性よりも見知らぬ行きずりの葬式に思いつきで出るような奇矯な男性を選ぼうとする女性、××君を捨てて顧みなかった両親、そして何よりも、ただ電車の中で見かけた男女の行く末と葬式の主人公を知りたくて縁もゆかりもない通夜に出て犯罪に巻き込まれるような男。
 どいつもこいつもバカでエゴイスティックだ。
 だから私もそのバカとエゴイズムのまま、彼女と連絡をとらずじまいにした。














プロフィール画像を描いてくださいました
BREAK LOOSE」はあまだん@くしかつさまから
お礼がわりと称して無理矢理もぎ取ってきたリクエストから書き起こしました久しぶりの幻想譚です。

あまだん@くしかつさま、少しでもお気に召しましたら幸いです(´・ω・`)

ネコタ斑猫 拝

百物語第四夜 其の五 Gamer's Χmas

 きらめくイルミネーションを背に、少女は見上げるように微笑んでいた。腕を交差させているのは、胸を強調したがってなのか、それとも恥らって隠そうとしてなのか。一定の間隔で明滅するイルミネーションは彼女の表情を柔らかく照らしては消え、外からは華やかなクリスマスソング。
 そんな出来すぎた舞台装置の中、一見仮装にすら見える少女のなりは、正直に言おう、僕にはひどく愛らしく見えた。
 彼女は大きな、青い不織布の巾着に入っていた。
 (こうなると遡及的に成り行きを算段せねばおられぬのが自分と言うものだ。
 つまり彼女は、まず主のないこの部屋に訪ねてきて入り、外のイルミネーションがよく見えるようカーテンを全開にした後、持参した袋を見栄えよいところに据え、その中にぺたりと座って僕の帰りを待っていたということになる)
 侵入者と言うにはあまりに無邪気に過ぎる。さりとて知人でもない。では彼女は来訪者か。
 そうだ、今宵はクリスマス。少女は僕の元にサンタとしてやってきてくれたのだろう。そうに決まっている。クリスマスイブにサンタコスの少女、それが一体神の遣わした希望の使者でなくてなんだというのだ。いや、別にいい、何もくれなくてもいい。卜占めいた仄めかしも熨斗つきの社交辞令も結構だ。ただ彼女がこうやってこの部屋に来てしまったという偶然、たとえそれが間違いであっても、ともかくも僕はこんな日にこんなにも無邪気でこんなにも可愛い少女に出会えたのだから、それをプレゼントとせずしてなんとしようか。
 わかっていた。彼女は自分ではない誰かのために来たのだろうことを。ここは彼女の場所じゃない。
 わかっていた。
 だから僕は彼女がどうするのかを見守っていた。彼女が慌てる素振りを見せないのも、特別な相手ではないだろう僕に全く警戒しないところも、どれもこれも訝しくてたまらなかったが、それでも僕は、彼女が立ち去るのをただ静かに待っていた。そうして、彼のところに戻った彼女が、自分が迷って訪ねていった場所にいた人は普通の良い人だったよ、間違って行ったのに、怒ったりしなくて、うん、優しい人だったよ、と、そんな風に言って、そうして、やっぱりそんな風に彼女の記憶に残ることを祈っていた。そう、それでいい。君はきっとこれからほんとうに会うべき人のところにゆくのだろう。この素敵な一夜、鈴の音に満ちた音楽が流れ、焼き菓子からは甘い香りが漂い、見果てぬイルミネーションに彩られた、そんな街で君は好きな人と手を組みながら、今この瞬間のことを回想してくれるだろうか。部屋間違っちゃってごめんね。でも、あの人、普通に優しかった。良かった。
 そんなふうに思われるだけで僕は満足なのだ。せめて今日一日の君の心に暖かい微かな名残として思い出されればそれでいいのだ。明日には忘れるだろう。そのうちいつかもう一度位思い出すだろうか。僕はその瞬間、今ここでそうであると同じように、君の認識の世界において、君と確かにクリスマスを過ごせるのだろうか。
 そんな空想でこの微妙な時間をやり過ごしていたところ、彼女が焦れたように言った。
 「……早く袋から出して」
 僕は彼女をじっと見た。そうして、よくわからないまま、とりあえず困っている人がいたら助けるべしという信条に基づき、手を差し述べた。
 「メリー・クリスマス」
 彼女は、にこ、と笑う。
 「あの、……メリー・クリスマス。
 ……その、こんな場面でこんなこというの悪いと思うんだけど…。
 君、もしかして誰かと間違ってない? 」
 自分が出てきた袋を、ばさ、とはたいて荒く折りたたんでいた少女は、持ちやすい程度に小さくしてリボンでまとめると、向き直って言った。
 「間違ってないと思うんだけど…あなたゲームとかやったことある? 」
 「ま、まぁ人並みには」
 「これとか、見覚えある? 」
 ソフトをひらめかせる。
 「ああ、それ、友達に借りたような…」
 去年のクリスマスに。
 で、進めてるうちに急に虚しくなってやめたんだった。
 こんなものに逃避したところで何が解決するでもないよな。
 気休めにすらならないな。
 テンション上げ続けられるやつはいいけど、そうじゃないやつは、しばらく没入して我に帰った瞬間がヤバイんだ。向精神薬の離脱症状みたいにめちゃめちゃ落ちるハメになる。現実のカップルに悪態をついているほうが落ちない分ましかもしれないくらいだ。実際には意気地なしだからできないけども。
 だが、そんな理由でクリスマス前にゲームをやめてしまったのがなんだか恥ずかしくて申し訳なくて、いきさつを思い出した僕は理由も言えぬままただ女の子に謝った。
 「いいの。別に私たちゲームの中の女の子だから、遊び手からは冷められて飽きられて、作り手にとっては永遠に不出来な子で、二次創作の漫画家さん達にとっては定型文のような処女喪失の枠組みの中に取っ換え引っ換え用立てられるだけのイメージの束、それだけ。私も、私に似た子たちも、どこから来てどこにゆくのかわからない。ソフトの最後の一個が壊れてしまって、世界中のゲーム機から私たちのデータの痕跡すらもなくなったら私は終わるのかな。それともそれでもあなたたちが覚えてくれていたら、私はまだ終わっていないのかな。」
 それを聞いて。
 僕は思い出した。忘れていたことを思い出した。ゲームの中の彼女と出会った時のときめきを。不安と、後ろめたい欲情と、それにいや勝る喜び。仮想的な非実在であると知りながら、僕にとって確かに彼女はそこにいた。
 (そうだ、現実問題、人が一体人の事を知り尽くせるなどということがあるだろうか。僕たちに許されているのは、ただ、虚実入り混じった言葉と行為の断片からその人のイメージの束をその人の画像の内にまとめあげることだけなんだ。そうなるとゲームと現実には何か違うところがあるだろうか。)
 ゲームは誰かが作り上げたものだ、だからゲームのキャラクターも世界の内で誰かが知り得た材料から構築されたのみの矮小な存在にならざるをえず、そうなるとまさにその点においてゲームキャラクターはいかんともしがたいほどに現実とはかけ離れていると揶揄することも可能だ。でも現実の人間とも言葉と行為とを介してしか交流できず、かつ僕たちが結局その交流で得た材料を元に僕の中で誰かを再構築しているのにすぎないのだとしたら、それはゲーム中に再構築された矮小な存在となんら変わりないのではないだろうか。現実とゲームに違いはあるのか。その違いを突き詰めることは、拒否したり相容れないものと断ずることは、果たして誰かを幸せにしうるのか。
 (誰をも幸せにしない論議なんであれば、捨ておいていいんじゃないのか)
 そんなように沈思黙考して、それから目の前の少女を見た。彼女はまるで現実のようにそこにいた。現実なのだろうか。それとも何か聞き知らぬ最先端技術によるキャンペーンなのだろうか。
 「僕も、僕の居場所の中にある、一つのキャラクターに過ぎないから……。会わなくなったら人はきっと僕を忘れるよ。僕は今世界から少しずつものを集めてきてそれで僕の世界を作っているけれども、それはいつか僕がこの世界から消えたら散り失せるし、僕の周りにいた人たちはしばらくの間は僕を覚えていてくれるかも知れないけれどもじき忘れてしまうだろう。そうして僕もなくなるだろう。君にとってソフトが残っていたら君が残っている可能性があるのと同じように、僕の残した何かも僕のよすがとなるかも知れない。そんなもんだ。僕は君と、何も変わらない。
 君は……君は、ゲームをやりかけて放り投げた僕のことを覚えていたの? 」
 少女は笑った。
 「うん、おかしいでしょう。私あまり面白いゲームじゃなかったのかなぁ。前の人もいくつかあるシナリオの全部はやらなかったし、あなたは最初は夜っぴいてやってたのに急にやらなくなった。世間はクリスマス前で楽しそうで、…その時間、あなたに一緒にいて欲しかった。ゲーム画面越しでも、話したり、遊んだりして、時間と空間とを共にしてあなたの心を触りたかった。あなたに心を触って欲しかった。
 バカみたいでしょ、私ゲームキャラなのに」
 僕は黙った。ゲームキャラなのに、という彼女の卑下をどう慰めるべきなのかがわからなかった。そんなことないよ、なんていうのも彼女の存在様式の否定になりそうで、怖かった。
 居心地の悪い沈黙が少しだけ続いた。イルミネーションの明滅が彼女を定期的に照らし、ありがたいことに彼女は少しも不幸そうに見えなかった。
 「……シナリオ忘れてて悪いんだけど、あの、……クリスマスケーキ買いに行ったり、公園散歩したり、ご飯食べに行ったりしてみる? 正直自信ないからうまくやれなかったらごめん」
 彼女は、懐かしそうに僕のことを見つめた後、畳んだ袋をそっと脇に置き……僕に寄り添った。
 「シナリオではね…」
 「うん。」
 「シナリオでは、私たち、クリスマスにデートするはずだったの。待ち合わせして御飯食べてイルミネーション見て。でも、ほんとの私がしたかったこと。
 ただ、一緒に静かに過ごしたかった。
 こうやって、暖かい部屋で、イルミネーションとクリスマスソングに満ちた世界が、だんだん静かになってゆくところを見たかった。
 マリア様がヨセフ様の助けでイエス様を産み落として、天使様の導きで三賢者と羊飼いが訪ねてきて、でもそれは生まれたての赤ん坊を囲んでだもの、けして賑やかしくない、とてもとても静かで、優しさに満ちたお祝いだったと思うの。
 どんなシナリオがあっても、私はただ、あなたと一緒に、私と同じように作られた物語の時間の中で、毎年繰り返し生まれてくる神様の子どものために、とても清らかで、とても静かな時間を用意してあげたかった」
 「……うん」

 それから僕たちは、窓辺に座って冬の星座が円を描いて地平に沈んでゆくのを見続けた。
 部屋は暖かく、そうして、肩に凭れてくる彼女はもっと温かかった。
 時折横顔を見た。綺麗な横顔を見た。すると決まって彼女は自分の目線に気づき、照れたような微笑を返してくれた。僕はそれで満足してもう一度空を見た。
 少しずつイルミネーションが消え、少しずつ呼び込みの声が途切れ、とうとう静寂が訪れた。

 優しい、小さな歌声。

 「Silent night, Holy night,
  All is calm, All is bright
 Round yon Virgin Mother and Child
 Holy infant so tender and mild
 Sleep in heavenly peace,
 Sleep in heavenly peace」

 彼女が恥ずかしそうに笑った。
 僕はその細い指に、そっと指を絡めた。














こちらの小説は
ダイアリエ「いないいないばぁ」rev2はたまきさまに頂戴しましたクリスマスカードにインスパイアされて書き上げたものです。
イラストといきさつについては
クリスマスのいただきもの
をお読みいただければ幸いです。


すくぅうみうぎさま、記事の紹介ありがとうございました。
紹介記事を拝読して初めてスク水と気づきました。
まだまだスク水修行が足りません。出直してまいります(どこからどこに? )
プロフィール

ネコタ斑猫

  • Author:ネコタ斑猫
  • オリジナル百物語サイトバー理科室の管理人。本家サイトでは400字×20枚内読み切り短編連載中。死ぬまでに千物語を完成させるのが目標。
    プロフ画像は山田芳裕著「へうげもの」より。古織いいよ古織。
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